古川了子さんを救う千葉集会in市原
2005年6月25日(土)
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ぴろんさんのテキストです。
日本海の涙さんもご苦労様でした。
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1.佐久間隆義 市原市長の挨拶 次へ▼
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皆様こんにちは。
ただいまご紹介をいただきました、市長の佐久間隆義と申します。
お母さんがあちらにいらっしゃっておりますが、私は2年前市長に就任いたしました。
もう2年間が過ぎようとしております。
そういうなかで私も大変ご指導いただきました古川さんのお姉さん。
その妹様が拉致をされたと言うことでその話を聞きました。
市原市民の命と財産を守る責任は私たち行政にもあります。
事件や問題が起きたときに警察だけにお願いすることなく、行政としてもしっかり対応していかなければいけないという基本的な考えに立って、日々の活動をさせていただいておりいますが。
お話をいただきましたときに、私たちがやれることをやらなければいけない。
いつ私たちが被害者になるかもしれない。
そういう思いの中で町会長・会長の小池さん、まだ来られないようですが、まもなく来られると思いますけども。
町会長の連合会の皆様にご相談をいたしました。
市民の一人が古川さんがこういう事になった。
市を挙げて市民を上げて何か声を上げなければいけない。
そしてその声は必ずあの国にも届くはすだ。
そういう思いで署名を集めて頂きました。
今お話の通り、15万人弱の署名が集まった。
その後もきっと思いを持っていらっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。
その皆さんの心と力を合わせて、ぜひお母さんがご健在のうちにこの日本に祖国に、身柄を引き渡して頂きたい。
こういう思いを私たち市民一同持たなければいけない。
こういう思いでこれから先も、拉致認定をされるされないの問題は有りますが。
市原市として、市原市民として市民の一人である古川了子さんが、元気でこの故郷に・・・帰ってきて欲しい。(少し言葉を詰まらせる)
心からそう思っています。
私たちは人間です。
みんな父や母を持って生まれました。
そしてその父母によって育てられています。
今私たちの国で子供たちに関わる様々な事件が問題が、あちこちで起きています。
それはどこに原因があるだろうか?
自分さえ良ければ良い、自分だけ儲かれば良い、自分だけいい思いをすれば良い。
そんな自分勝手な日本だけじゃなくて世界中に広まっている。
だから自分の得のためには何でもしてしまう。
そういうことが今の私たちの社会の中で悲鳴をあげているのが子供たちだと思います。
被害者も加害者もみんな私は犠牲者だと思います。
社会がもっと、私たちがもっと周り中に目を配り気持ちを注いでより良い社会の実現の為に。
まず家庭から地域からそしてこの町、この国、どんどんその思いを。
思いだけじゃなくて行動で進めていく責任と義務が私たちにはあると思います。
どうぞ今日はこの集会にご参集をいただきました皆様、本当にありがとうございます。
私は市長と言う立場でこれからも最前線に立って、皆さんのために私たちの為に未来の為に子供たちの為に努力をさせていただきますので、どうぞお力添えをよろしくお願い申し上げます。
古川了子さん、そしてご家族の皆様。
今日までのお苦しみ、そしてこれからもまだまだ大変なことがあると思いますが、共に一生懸命頑張りますので、お母様も元気で頑張って頂きたいと思います。
皆さんこれからもよろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)
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2.増元照明 家族会事務局長のお話 次へ▼
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『増元照明 家族会事務局長のお話 その1』
こんにちは。
今紹介いただきました家族会事務局長の増元照明です。
先ほど中村さんからご案内頂き、今日はこの炎天下家族会一同、衆議院議員会館前で座り込みをやっております。
私は前からこの「古川了子さんを救う千葉集会」へ呼ばれておりまして、どうしようか考えたのですが。
私たちは両方とも大事なことです。
首相にやはり決断を促すための座り込みも必要ですし。
こうやって各地を回って、皆さんに拉致の真実と言うものを知って頂くことも重要だと私は思っていますので、今日は横田拓也事務局次長に全て任せてこちらに来させて頂きました。
私たちはなぜ座り込みをやるのか?
まずこれから多少時間をいただき、お話したいと思います。
私たちは昨年の12月24日に第3回日朝実務者協議でもたらされた北朝鮮の調査結果、小泉総理が5月22日に白紙に戻して再調査すると言質を取ったと言うふうに、成果を言っておられましたが。
その調査の結果がすべて捏造であって、更に横田めぐみさんの骨と称するものは他人の物であったということが判明し、日本政府はあの時点では死亡とする物証を全く認められない。
生存を前提にこれから交渉をするというふうに閣内でもというか、政府内でも意見が180度転換しました。
それまでは日本政府はほとんど北朝鮮の発表どおり、ほとんど人は死んでいるという、そういう考え方で。
官邸サイドが特にそうでしたけど。
そういう考え方で北朝鮮に再調査を依頼し、そして死亡の物証をどんどん出せと言う話をしてたんですが。
昨年の12月からは生存を前提に、生きてる人をどんどん返しなさいと言う、そういう姿勢で臨むと言う。
これは外務省で谷内事務次官が私たちに説明なされました。
というふうに方針転換したはずでした。
12月24日細田官房長官が、「迅速かつ誠意ある対応がなされなければ、日本政府としては厳しい対応を取らざるを得ない」というふうに言ったんです。
12月24日に言って、それから更にに3ヶ月経ち4ヶ月経ち、北朝鮮はその間に核の保有は2月9日に核の保有を宣言し、さらに外務省とは対話をしないと言う。
その話を聞いても小泉総理は「対話と圧力」と仰っておられます。
対話と圧力、対話がなされていない状況なのに圧力もかけていない。
じゃあ、いつ圧力をかけるんですか?いつ対話をするんですか?
それについても全く話をされないまま、今年になって郵政民営化のほうに興味を持たれた様で、ほとんど拉致問題に関しては話をされなくなりました。
対話と圧力、その一言だけ、ず〜っとこの6ヶ月間言い続けています。
私たちはもう待てないとその意思表示をしておりましたけども、いつ政府は拉致被害者を救出してくれるんだ。
生存として方針転換したはずなのに、生存している人たちを全く助けようとしないことは、国家の総意として国民の命を預かるトップとして本当にそれで良いのか?と言う思いを、私たちは常に思っております。
政府に対する不信感もそうですが。
ただもうひとつ、私たちがこうやって大きな声を上げていかなければ、この拉致問題と言うのは核問題とそれと郵政民営化の間に埋もれてしまって、これから先いつになれば私たちの家族を取り戻せるのか?
そういう先が見えない状況に陥ってしまって、非常に危機感を持っておりました。
更に、これは蓮池薫さんが仰っておりましたけれど、朝鮮で情報収集するときに日本の新聞・雑誌を翻訳する仕事に従事していたということですが。
その時に向こうの担当者のミスで、お父さんが載っている写真を見たことがあるというふうに仰っています。
そして日本で拉致被害者の救出運動が起こっていることを知ったと言います。
それが今北朝鮮にいる人たちが3年前に蓮池さんや地村さん、そして曽我さんたちが帰っていったことを当然知っていることでしょう。
その彼らが次は自分の番だというふうに思っていて、ところが日本ではほとんどその他の拉致被害者のことに関してはほとんど騒いでいなくて。
そのような状況作っていては、彼らは向こうで日本に帰るという希望を失ってしまいます。
このまま向こうの体制の下に自分の人生を終えなければならないと言う、そういう悲しい思いをさせることは出来ない。
ですから私たちはあの官邸前で私たちが声を上げて、そして救出の火を絶やさないために体を使って座り込みをする決意をしました。
おかげさまで昨日から報道を一杯してもらっておりますけども、北朝鮮にいる拉致被害者に届いてくれることを望みながら、私たちはあそこの場で座り込んでおります。
その点いろいろとご批判も有るし、お年寄りをああいうところに座らせて良いのか?と言うそういう批判もありますが。
そのご老人たちが率先してやりたいということを仰っています。
それだけ今のこの現状には満足していないし。
私たちは政府のやり方に、今のやり方に非常に不信感を持っているということです。
それだけご理解頂きたいと思います。
私ひとりこういう涼しい場所でしゃべっていて良いのか?と言う、ちょっと思っておりますけども。
あの、「古川了子さんを救う千葉集会in市原」こういう非常に重い課題にこれだけの方が、しかも土曜日の昼下がりお集まりいただいてありがとうございます。
今特定失踪者問題調査会に依頼されている440名中400名ほど。
そのうちの12名、13名ほどは日本にいるもしくは死亡されているとされておりますけども。
その他400名強の方たちは全く分かっておりません。
それが拉致であるのか?拉致で無いのか?
ただ拉致の疑いが濃厚であるという方たちが今33名いらっしゃり、更に告発がなされております。
古川了子さんの場合先月でしたが、すでに裁判に持ち込んでおりますけども。
その裁判に持ち込んだと同時に4月の25日に、私が丁度ワシントンに着いた時だったんですけど、新聞記者のほうから田中実さんという方が拉致認定されたという話を伺いました。
この田中実さんそれからもうひとり小住健三さん、このお二人の方がいらっしゃいますけども。
私はその時にハッキリ自分で感じたのは、何で田中実さんだけなんだ?ということなんです。
田中実さんそれと小住健三さん、これは救う会の調査でまず拉致はまず拉致は間違いないだろうというそう言う決定をして、まず救う会の拉致被害者救出の救出しなければならない人の中にもうすでに入っております。
古川了子さんは9.17以降、安明進その他の証言その他で特定失踪者問題調査会が救わなければならない人の中に入れてほしいということで、救う会認定にはなっておりますが。
田中実さんと小住健三さんはもうずっとそれ以前から、救う会の救わなければならない人たちの中に入っておりました。
それがなぜ?今年の4月24日に。
今年の25日ですね。
急に拉致認定されたのか?
私たちが古川了子さんの拉致認定を求めて裁判を起こしたことが、これが田中実さんを拉致認定するひとつの要因となったのではないか?
すなわち政府は一生懸命調査しております。
警察は一生懸命調査しております。
だから裁判沙汰をしないでも私たちはちゃんとやっておりますと、今の政府の言い方なんですが。
裁判沙汰を、裁判に持って行かれたと言う時点で、政府のその姿勢を一応見せておかなければならないから田中実さんを政府認定し、私たちは一生懸命調査をしてそして拉致認定をしているんですよと。
裁判に有利な非常に姑息なやり方だと私は思うんですが、それしか今考えられません。
2年前に田中実さんと小住健三さんは、すでに警察庁その他警察関係の方たちにとっては、すでに拉致と言う、拉致容疑と言うことで官邸サイドに上げております。
官邸サイドは、そのとき福田官房長官でしたけども。
官邸サイドで小泉さんがそれを積極的にやったとは思えません。
ただ小泉さんはほとんど関心が無いですから、全て北朝鮮問題は福田官房長官、それから田中均外務審議官に全て任せておりましたので。
警察から上がった拉致認定の要請に対し、福田官房長官が官房長官のところでおそらく握りつぶしていたんじゃないかと。
拉致認定まで持っていってなかったと言うのが事実です。
なぜそこまで持っていかないか?
これ以上日本政府は、官邸は、特に拉致と言うこの事象。
拉致と言う事件をこれ以上大きくしたくないんです。
なぜ大きくしたくないか?
日朝国交正常化をしたいからです。
1990年以来政府・与党はずっと北朝鮮との国交正常化を望んでおりました。
これ、金丸信さんからずっとそうです。
なぜそれを望んだのか?
北朝鮮利権と言うものがあります。
さらにおそらく総理には名誉があるでしょう。
日中では田中さんが、私は今の日中友好条約それは汚点があると思っていますが、今の日中関係の悪さを作っているんだと思いますが。
それでも日中友好を成し遂げた人たちとして田中角栄さんの名前が載っております。
最終的にこのアジアの中で国交の無い北朝鮮と国交を成し得た総理として、名前を残したいと言うのが総理の自民党の政府与党の総理、全てにとって念願であったと言うのは事実です。
田口八重子さん、皆さんご存知のように田口八重子さんの事件が明らかになったのが1988年。
6件9人のアベックを含む、6件9人の拉致認定を国会の中で認めたのも1988年です。
1989年から金丸さんが北朝鮮外交を主導するようになって、その後日朝国交正常化交渉で拉致被害者を返せ、田口八重子さんを返せと言うのはほとんど行われておりません。
日朝国交正常化を優先するために拉致被害者の救出、返還を求めることをほとんどやっておりません。
名前だけ出して向こうが否定したので引っ込めたと言う、そういう状況がずっと続いており。
さらに第8回日朝実務者協議では日本サイドが事務レベルでの折衝の中で田口八重子さんと言う名前を出して。
出したが為に北朝鮮サイドが席を蹴って出て行ったと。
こちらも後を追わずに日朝国交正常化の政府間交渉がずっと流れていったんですけど。
そのように今の日本政府にとって拉致被害者の返還を要求するのと、日朝国交正常化をするのを比較したら、格段に日朝国交正常化の方が考えられていたと思われます。
金丸信さんはその時酷いことを言っております、その時に。
田口八重子さんと言う方は、東京の昔有名なキャバレーに勤められていたんですけども。
その事象を知って「女給の一人や二人で日朝関係がおかしくなっても良いのか?」と言ったのがあの金丸信です。
私たちはこれを聞いて非常に腹が立ってしまいましたけど、その程度の認識しかない。
6件9人のアベック10人、6件9人のそしてめぐみちゃんを入れて10人になっても外務省の槙田、
槙田なんて言いましたっけ?
今のエジプト大使でしたけど、その方が「9人や10人で日朝関係おかしくなって良いのか?」と、外務官僚がそう言った。
これが示すように日本政府はずっと日朝国交正常化を望んでおります。
今でもそうです。
小泉さんは今はもうほとんど諦めたと思いますけど、昨年の5月22日以降2〜3ヶ月は私の任期中に日朝国交正常化をやるというふうに仰っておりました。
ですからどうも拉致問題はあれで終結したんだと言う、国民に知らせるために。
そして北朝鮮政府の望むように拉致問題を終結させて、日朝国交正常化に取り組もうとしていたんですけども。
結局北朝鮮が、アメリカの言うずさんな調査結果、あれがあったが為に日本国民の怒りが収まらずに日朝国交正常化を安易に出来る状態ではない。
これが今の現状です。
あの時私たちは横田めぐみさんの骨が出てきたとき、本当にドッキリしました。
特に横田家はやはり多少の覚悟はされていたと思います。
自分たちはあの骨は絶対にめぐみちゃんの骨ではないと言っておりましたけども、もしかしたら向こうで処刑されてそして骨だけ持ってこられたという可能性があるということまで考えました。
実際は別人の骨であった。
でももしもあの骨がめぐみちゃんの骨かどうか分からないとか。
もしかしたらめぐみちゃんの骨だったかも知れないという事だったらどうでしょうか?
国民の皆様の中に5人の被害者は帰ってきた。
5人の家族も帰ってきた。
で10人はもう死んでるというと言うふうになれば。
そして特定失踪者も無いという流れになれば、国交正常化が、何となく国交正常化の道へとなったのではないでしょうか?
私はそれが狙いで下手をすると、日本の官邸サイドから北朝鮮にあの骨を1200度で焼いたら鑑定が出来ないから、1200度で焼いてめぐみちゃんの骨と証する物を出しなさいと。
例えば日本の世論も沈静化できると、そのようにレクチャーした人がいるんではないか?
そのように思っています。
それほどあの骨はタイミングがよく出されている。
骨と言う物を出すタイミングは北朝鮮政府も狙っていたでしょう。
なぜなら8人死亡の内、骨が流されていないのは松木薫さんと横田めぐみちゃんだけでした。
他の人はみんな流されて分からなかった。
松木薫さんも流されたけども、その松木薫さんの骨があったところから拾い集めてこの中に松木薫さんの骨があるんではないか?と言って2002年の9月の末の調査団に渡されております。
その時に科警研がその骨をDNA鑑定できるかどうかやってみたんですけど、1200度程度の焼却をなされていたということです。
しかもご丁寧に2回焼かれていると言うことでしたけど。
最初に焼いた奴が埋められててそれが流されて、更にもう一回焼いたというふうに北朝鮮政府が言っておりますが。
それで科警研はDNA鑑定できませんでした。
そのDNA鑑定が出来ないという結果を持って、北朝鮮政府があのようにやればDNA鑑定ができないんだと。
あの時には60歳以上の女性の骨だったが、今度は30歳代の女性の骨を焼いて日本にやったら分からないだろう。
北朝鮮はめぐみちゃんの骨だと言い張って、そして終結に持っていこうと言うふうに持っていこうとしたのではないか?
日本政府も松木薫さんの骨は出来なかったんだから、あれと同じやり方をすれば分からないよと言う風にレクチャーをした。
とにかく終結をさせようとしたとしか思えない。
それほど私たちは日本政府に不信感を持っています。
特に官邸には不信感を持っております。
なぜなら飯島さんと言う今の総理の筆頭書記官ですが、あの人と朝鮮総連のチョ・ソンマン責任副議長が直結ラインを持ったという事が昨年の春位です。
直結ラインを持って北京に親書を持たせて北京に山拓さんと平沢さんを派遣した。
で、山拓さんは自分の選挙が近かったもので、ご自分の選挙の為に目立たなければならなくなったので、秘密裏ではなくて結局ジャーナリストを連れて行って。
北朝鮮サイドもあの時に、何だあれは?って言ってたそうです。
秘密の話だと言ったのに、日本サイドはジャーナリストを連れてきてカメラを連れてきて何だあれは?と。
と言うふうに言っておったということですが、山拓さんはご自分の選挙のためには自分が主導でやらなければならない。
結局その程度なんです。
国会議員の考えているのは。
票にはならない、金にはならないことがこの拉致問題であった。
ずっと拉致問題を、北朝鮮による拉致問題を隠蔽し、そして聞いても別に動かなかった。
そんなもんだろうと。
自分の選挙には関係ないしこの問題をやっても票にはならないから。
ほとんど積極的に動いてこなかったのがこの20数年間です。
それが今でも私たちには残念ですが。
ただ私たちもそうなんですが。
私たちの拉致認定と言うのは2002年の9月以降です。
私たちは平成9年の3月に家族会を結成いたしました。
家族会を結成してそして政府関係者、それからいろんな赤十字にも行きましたし、アムネスティにも行きました。
でもありとあらゆる所に要請しお願いしてきましたけれども、すべて拉致疑惑と言う言葉で片付けられておりました。
特に共産党それから社会党の方たちは、疑惑の段階でこれは共産党の・・・(聞き取れず)、疑惑の段階で拉致を持ち出すのはいかがな物か?と言うふうに言っておりましたから。
拉致と言う物を疑惑で全て闇の中に葬り去ろうとしたのが社会党と共産党です。
なぜそこまで言ってるのか良く分かりませんけど。
社会党は友党関係があったから、その自分たちの社会党と友党関係の朝鮮労働党がそのような非道ことをしていると明るみに出れば、それは社会党の威信にも関わるし。
社会党の今現在そうですが、社会党の票が減るということ。
共産党もまさしくその通りです。
共産党は2000年から朝鮮労働党との友党関係を回復し始めていて、特に朝鮮総連との関係を2000年の初めくらいから回復し始めました。
ですから朝鮮総連という組織が日本に行ってきた破壊活動や拉致と言う、これは朝鮮総連全てがそうだとは言いません。
朝鮮総連の一組織である非合法組織、洛東江とか、この前結成されたそうです学習組、あの中にも拉致に関わった人がいるんではないか?
確かにそこにいた人たち、朝鮮総連の商工人たち、それがすでに田中実さんの拉致に関係していたと言うのはもうすでに明らかになっております。
韓竜大と曹廷楽というこの二人の方たちなんですが。
この方たちも今日本でのうのうと暮らしてますから。
それに対して警察は手を出すことが出来ないのか?手を出そうとしないのか?
今でも青森とそれからこの前行きました山形に、二人は別々に暮らしております。
それほど朝鮮総連と言う組織が関わっていた。
特に責任副議長であるチョ・ソンマンはこのことを知らなかったことは無いと思います。
朝鮮総連と共産党が友好関係をまた再び復活させておりましたが、そこにやはり拉致と言う問題が大きくクローズアップされると、共産党の評判も落ちると。
共産党も中々手を出せなかった。
ですから議員秘書だった兵本さんを除籍したんです。
また先日萩原遼さんも除籍したそうですが。
萩原遼さん、今年の朝鮮総連の50周年記念パーティーの所で、北朝鮮人民の人権を守ると言うビラを配っていただけ。
共産党の悪口も言っておりませんし、共産党の批判もしていない。
そのビラを朝鮮総連のパーティーの出入り口で配っていたという事実を持って、共産党は萩原遼さんを除籍しているようです。
これは内部事情ですからハッキリ分かりませんけど、外部から見ているとそうとしか思えない。
そのような行為をしている。
だからよっぽど北朝鮮に何らかの借りが有るのか?
よっぽど北朝鮮と仲良くしたいのか?
よく分かりませんけども、共産党がどこを目指しているのか私は良く分かりません。
『増元照明 家族会事務局長のお話 その2』
で、まずそういう方たちが日本の中に大勢いらしゃって、だから拉致問題はず〜っと疑惑のままで伏せられていた。
疑惑のままで国民の皆さんに知られることが無かった。
疑惑ず〜っと疑惑で、報道も疑惑と言っておりましたし。
2000年米食糧支援のときに、私たちは2回座り込みをやっております。
私たちは2000年米食料支援の時に2回座り込みをやっております。
その時に、その当時の外務大臣である河野洋平さんに私は強く言いました。
「河野さんあなたはこの拉致と言う物が本当にあったことだと思っていますか?それともでっち上げだと思っていますか?」
と言ったら河野さんは
「もう間違いなく北朝鮮による拉致だと思っています」
と言ったんです。
「じゃあ外務省の大臣として外務大臣として、マスコミに間違いないと発表してください」と。
「今政府がハッキリ言わないから、この拉致問題が大きくならないし、国民の皆さんに行き渡ることが無いんです。
だから外務大臣として正式に発表してください。
すでに1988年国会の予算委員会の中でそれをやってるじゃないですか?
ハッキリしてください」
と言ったら、河野洋平さんは
「いやそれは警察の頭越しに外務省が勝手にするわけに行かないんですね」
と言うふうに言ってるんですね。
外務省のトップがそう言ってました。
警察庁に行って
「あなたたちはこれは拉致が本当だと思ってるんですか?どうですか?」
と聞いたら
「いや限りなく黒に近い灰色です」と。
「じゃあ発表してくださいよ、警察庁の権限として。
警察庁が自信を持って発表してください」
って言ったら
「いや今は調査中ですので、中々そのこれを表に出すと言うことは出来ない
んです」
というふうに言ってるんです。
両方ともやることが出来ない。
責任を持ってこの拉致を国民の皆さんに知らせることをしないでいる。
この国の一番の問題だと私は思っておりますが。
今現在も小泉総理は対話と圧力と言っています。
しかし北朝鮮政府は対話を拒否しています。
更に圧力はほとんどかけておりません。
更に拉致問題の解決の為に、誰が責任を持ってどうやって助けるのか?と言う所を話し合う部署を作らなければならないと思っているんですが、それが全く作られていない。
だから小泉が対話と圧力と言うと、外務省もそれに従わざるを得ないですから。
でも拉致問題を担当し、被害者を救出するためにはどうすればいいのか?と毎日毎日話し合って。
それこそ経済制裁をシュミレーションやって、どうすれば効果があるとか。
毎日韓国に対して拉致被害者を救出するために私たちは経済制裁をかけようと思うけれど、協力してくれるとか。
そういうことを常にやらなければならない部署がひとつも無い。
責任者が誰も決まっていないから、みんな他の人に責任があるんだろうと思って、自分が責任を持って拉致被害者を救出しようとしない。
するような部署が無いからできないと言うのが現状です。
ですからこの拉致認定もほとんどなされていない。
警察庁に全て一応任せているわけですが、でも20数年前の話です。
20数年前に失踪と言う形で処理されて、20数年後30年近く経って新しい目撃者、新しい証言、中々得る事はできない。
よっぽどの捜査体制を組まなければ得る事ができない。
その事実がありながら、拉致認定が積極的にやる部署をほとんど持たない。
何人の人たちが拉致されているのか、何人の人がいつからどこで拉致されたのか?
それさえも把握しないで、北朝鮮政府に突きつけられるか?
突きつけられるはずが無いんです。
日朝国交正常化交渉も途絶えておりますが、とにかく日朝協議は3回行っております。
その時に今調査会に出ている33人に関しても、ほとんどと言うか全くほとんどですね。
昨年の6月に藤田さんの写真が出て、更に加瀬テル子さんの写真が出たので、そのお二人は出す気になったんですけど。
日朝国交正常化の場面でもそうですし、実務者レベルの実務者協議でも日本政府がその人たちの安否を尋ねることはないんです。
一回もしていないんです。
古川了子さんに関してはただの一回もしていません。
これだけ安明進の証言があります。
間違いないだろうと思うのに一回もやられることは無いんです。
私は先日、どこかの集会で申し上げたんですけど、古川了子さんのお母さんとお姉さんたちが家族会を結成して2〜3年後に家族会と共に一緒にやってたら、もしかしたら今回は向こうが認定してきたかもしれません。
それぐらいの重要な事案であるにも拘らず、日本政府は認定をしていないということで積極的にその名を出して北朝鮮での実務者レベルでの協議では言っていません。
これが何を意味するのか?
私たちは家族会を結成する時に、実名を出してそして報道もらうことを決定したんですが。
その実名を出すことによって、やはり北朝鮮政府に下手な動きをさせないためです。
更に実名でしか国民の関心を呼ぶことは出来ないと思ったからですね。
ですから実名を出して、私たちは活動してきたんですけども。
今日朝実務者協議の場でさえ名前が出ていないと言うことは、北朝鮮は日本は何人いつから拉致しているのか全く認識していないと言うことを彼らが思って。
そして名前の出ていない拉致被害者を隠蔽する可能性があるということです。
日本政府、何も私たちは知らない、捉えていないこの段階と言うようなスタンスであれば、北朝鮮は自分の国にいる拉致被害者を、名前の知られていない人は自分の思い通りに生死を握ることができると言う。
これが一番の問題なんです。
認定作業を進めていかなければ、あの政府間交渉の中で名前が出ない。
名前が出なければ北朝鮮はどうでも出来る。
ただ日本政府がこの人を確実な認定ではなくても、とにかく拉致の疑いが濃厚であると。
日本政府が認定しますと言えば、北朝鮮政府もその人に対し簡単に手を出すことは出来なくなる。
これが私たちの一番の危惧なんです。
ご家族にとって特にそうだと思います。
私たち認定家族、2002年の8月17日から認定されていますが、それまでは先ほど行ったように疑惑疑惑と言う中で。
自分たちも実際北朝鮮に拉致されたと言う物証を持ってるわけではなく。
ただ安明進氏の証言とか、いろいろな状況から、まず北朝鮮の拉致に間違いないだろうと思いながらそれでも心のどこかでもしかしたら違うのではないか?とそういう思いを持って運動しておりました。
日本政府があの時にしっかりと拉致認定しておいていてくれば、私たちはもっと助けてくださいと言うことを大きく声を出して動くことも出来たでしょうし。
もっと早くに拉致の問題を国民の問題として、解決の方向に持っていけたのではないか?と私は思っておりましたし。
それが政府が認定しなかったが為に、政府がハッキリと公表しなかったが為に、結局金正日が拉致を認めるまで、国民の皆さんには日本に拉致と言う問題があると言うことが大きく報道されると言うこともなくて、知らない方も大勢いらっしゃると言うことなんです。
特定失踪者問題と言う、特定失踪者と言う名前はある程度定着していまして、しかし何人程度いるのか?
ほとんど日本の皆さんには良く分かっていらっしゃらない方も多いと思います。
めぐみちゃんの報道には非常に時間を割いて報道はされております。
しかし他の拉致被害者のことに関しては知らない方が多々あるんではないでしょうか?
例えば私、よく間違われるんですけど、増元るみ子さんのお兄さんといつも紹介されております。
それほど私のるみ子がどういう人間であったのか?
更に市川修一さんがどういう家庭に生まれてどんな人だったのか、ほとんど知られていない。
それと同様に特定失踪者の方たちの名前すら知らない人が大勢いらっしゃると思うんです。
その人たちを埋もれさせてはいけない。
それが日本政府の責任だと私は思っているんです。
埋もれさせてしまったら、もうこれから拉致問題は終結にどんどん向かっていく時に、日本政府は名前が出ていない人たちをどんどん切り捨てていくでしょう。
先ほど言ったように日本政府は日朝国交正常化を最優先で考えている節があります。
拉致認定を増やすと言うことは、拉致問題を大きくすると言うことですので。
それは日朝関係を修復するためには良くないと考えている政府与党の中に、特に力を持っている実力者と言う方たちがそれを重ねております。
ですから彼らにとっては国民の10人や20人、100人位は今の北朝鮮利権それに名誉欲、それに匹敵するのかと思う方たちが、大勢いるんだと私は推測いたしております。
そんな方たちに私たちは何を言わなければならないのか?
国民は馬鹿ではないと言うことをハッキリと示していかなければならないと、私は思っています。
本当に国民の命、先ほど市長さんも仰っていましたが、市原市民の命を守るのが市長の務めである。
市民の幸せを守るのが市長の役目である。
国会議員は何をするのか?
国会議員は国を司る人たちです。
そして国民の生命と財産に対して大きな責任を持たなければならないはずです。
そのトップである小泉総理は、やはりその責任の一番重い方であるということを自覚して頂かなければならない。
昨日私たちの座り込みに対して、小泉総理がコメントを求められてコメントされているようです。
「ご家族も辛いだろうが経済制裁をして、今拉致が解決するような現状ではない」と。
じゃあ、いつが経済制裁を課す現状となるんでしょうか?
昨年の12月8日にめぐみちゃんの骨がめぐみちゃんの遺骨と称される物が、めぐみちゃんのものではないと言う時に大きな渦が日本国内に舞いました。
その時も総理は対話と圧力と仰りました。
更に他の調査結果、北朝鮮の出した調査結果を精査してみなければ何ともいえないと言う風に言って、回答を引き延ばしました。
12月24日に政府が調査結果が出て、北朝鮮に言った、先ほどの細田官房長官が言った「厳しい対応を取らざるを得ない」と言う、その事を明確にした時も対話と圧力が必要だと仰ってます。
私たちが1月に会って申し入れした時も常に対話と圧力と言うことがずっと続いております。
じゃあいつが経済制裁の発動をいう現状なのか?
私たちには全然見えてこない。
それが非常に不安でなりません。
私たちは今経済制裁を求めてそして座り込みをやっておりますけども。
なぜ経済制裁をしなければならないのか?
6者協議を上手くまとめようとしている中国・韓国・ロシアがいます。
北朝鮮の現体制を維持しながら、6者協議で合意を得ようとしています。
中国はホスト国ですから当然それをやろうとしておりまして。
しかし6者協議の場で拉致問題を扱うのは北朝鮮政府が嫌だと言うことで、中国・韓国がそれに対して消極的です。
アメリカは一応日本の支援をするような形で協力すると言っておりますが。
アメリカも現時点でとにかく一回は6者協議を開かなければならない。
一回開いてそこで何らかの成果が出なければ、安保理だと。
そこまでは考えているようですが。
今この現況で6者協議優先になっております。
そして6者協議の場では拉致問題を話し合う場ではないと言うことは、皆さんも何回か行われている6者協議の場で話し合われていないことは皆さんもご存知でしょうから、分かると思います。
でも、あの6者協議の中で日本が持つ役割と言うのは、他の国からとってはお金だけなんです。
先ほど北朝鮮は日本の参加を望まないと言っておりますが、望まなければ私たちがあの6者協議に参加する必要は無いんです。
あの6者協議では核問題しか話し合われないのは事実です。
そして下手に合意がなされれば、私たちはその合意に基づいて経済協力を課せられることになる。
これは11年前の1990年、米朝実務者協議で米朝間の間で交わされたジュネーブ協約。
この中で日本は参加していないにも関わらず、軽水炉の建設に10億ドルの資金を払わされることになっておりました。
拉致問題が全く解決していない状況の中でアメリカに言われ、そして合意したから韓国と日本に手伝いなさいと。
その命令を受けて日本は10億ドル支払わされることになってたんです。
4億ドルしか今の所出していませんけど。
それは軽水炉が破綻したから。
これを6者協議、自分たちが入っている6者協議でもし下手に合意がなされたら?
まあ合意はなされないと思いますけど、そしたらば日本は北朝鮮に対して経済協力をしなければならなくなる。
しかも北朝鮮を支えるのは、皆日本の金だと思っています。
中国は自分の国であの北朝鮮を支えようとは思っていません。
どちらかと言えば放っておきたい。
出来れば日本の金で持ち直してくれれば、そして共産主義の防波堤になってくれればと思っているでしょう。
韓国は今の経済事情ではあの国を抱えることは出来ません。
ですから日本の大量のお金、1兆2兆という大量のお金が流れてインフラがなされて、そして普通の国になってから統一したいと思っています。
ロシアは無関心ですから。
すなわち6者協議の中で他の全ての国が、日本の金を当てにして6者協議で核合意をしようとしているんです。
そこに日本が入らないよと言ったら、他の国があわてるんですよね。
だから、慌てるから日本の言うとおりじゃあ拉致問題も少し入れようかと言う。
そういう動きになって当然だと思うんですが。
それさえも今の日本政府はしようとしていない。
今6者協議優先で拉致問題を取り上げようとしていない。
実際本当に拉致被害者を救出する気があるのか?と。
私はその辺が非常に腹立たしい思いで言ってるんです。
ですから、とにかく日本は6者協議に埋もれることなく。
6者協議に埋没することなく拉致問題が、日本と北朝鮮の間には拉致問題と言うものがあり、被害者がいまだに幽閉されていると言う事実を世界中に突きつけて。
そして日本の意思を世界中に突きつける必要があるんです。
それをしなければ、6者協議の中に核問題の中に拉致被害者が埋没していってしまいます。
日本政府は一歩もひかないと言う、拉致被害者を救出するために一歩も引かずに絶対に経済協力は出来ない。
被害者が帰ってくるまでは経済協力は出来ないということを表明しておかなければなりません。
その意思の発動が経済制裁の発動です。
国会意思の表現が経済制裁の発動です。
それをもって日本の国家意思の、国民を守ると言う国会意思を示すことが、この拉致問題を埋もれさせない唯一の方法だと私たちは信じています。
経済制裁を発動すれば宣戦布告とみなすという北朝鮮は一時期言っておりましたけれども。
30年近く前に国家主権を侵して、日本の国民を日本の領土から連れて行った時点で、北朝鮮は宣戦布告を日本に対してしていると考えても結構であると私思っています。
普通の国家間でしたら、それでもうすでに戦争が始まります。
経済制裁はまだ武力制裁よりもまだましなんだと、そういう気持ちで北朝鮮に当たらないと全ての被害者を取り戻すことは出来ません。
ですから私たち家族の覚悟だけでなく、そこには国民の皆さんの覚悟もひとつずつ何らか必要なのかもしれません。
北朝鮮と言う国は、しかし戦争を仕掛けたら自分が負けると全て分かっていますので、そのような馬鹿なことはしないでしょう。
でも覚悟だけはしなければならない。
それはなぜかと言うと、自分たちの国を守るためには、自分たちの安全を守るためには、やはり自分たちは自由と平和を守るためにはどこかで強い覚悟を持っておかなければならないんだと言うことを。
それがこの国のあり方、この先中国に脅されて北朝鮮に脅されて、更にお金をどんどんどんどん吸い上げられる国になって陥ってしまうという。
私たちこの拉致問題を通じて、この国のあり方を本当にこれで良かったのか?と。
今のままで良いのか?と学んでおります。
私たち家族の独りよがりにならないように私たちは皆さんに訴えてはいるんですが。
一人一人の家族を取り戻すためには、やはり国民の皆さん一人一人が大きく変わっていって頂くしかないのかと思っています。
北朝鮮に対してひとつになって拉致被害者を返せと言う声を上げていくこと。
経済制裁、万景峰号の入港は絶対に許さないという声を上げて頂くこと。
日本の国が、ひとつにまとまれば大きな圧力になります。
ぜひ皆さんにもこのことをご理解して頂いて、この拉致問題全員救出の為に。
日本人ひとりの命もおろそかにしないために、全ての拉致被害者・特定失踪者を救出するために最後までご支援頂きたいと思います。
本日はありがとうございました。(大きな拍手)
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.3.真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話 次へ▼
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皆さん、こんにちは。
ただいまご紹介をいただきました、特定失踪者問題調査会の一応専務理事でございます。(笑い声)
この暑い中ですね、多数「古川了子さんを救う千葉集会」にお集まりいただいて心から感謝を申し上げます。
私どももこの古川さんの問題、ある意味で400何十人と言われる特定失踪者の問題の中でも、思いを代表するような形でですね。
この度訴訟と言う形でですね、取り組まさせて頂いております。
訴訟となりますとですね。
大変難しい問題を抱えますので、私ども弁護士の先生方、法律家の会と呼んでおりますけども。
30人の弁護士の先生方が、団結してこの古川了子さんの訴訟に当たると言うことでございます。
訴訟のことですから、その結果がどうなるか?
予断は許さないわけですけれども、大変重要な意味を持つ訴訟ですので、我々としてもですね。
ぜひ良い結果を生むように頑張っていきたいと言うふうに思っています。
最初に今日は大町ルートのお話をしながらですね、千葉県における特定失踪者の方々に触れさせて頂いて。
この拉致問題の拉致問題の全容解明のごくごく一部に当たると思いますけども、これを皆様にぜひご報告をさせて頂いて。
また皆様の方でお気づきのこととかありましたら、ぜひ情報としてお知らせいただければ幸いでございます。
冒頭千葉と言うことなんですけども。
皆様ご存知のことと思いますが、千葉県議会で千葉県警本部長の答弁というのはご存知でらっしゃいますでしょうか?
あれはいつだったか?私もちょっとハッキリしませんけど、千葉県議会でですね。
「千葉県における拉致問題はあるのか?」と言う議員さんの質問のときに、千葉県警本部長は「千葉においては拉致はありません」と言うふうに県議会の場で答弁をされました。
その後ですね私ども、その時はすでに古川了子さんの案件は明らかになっていたわけです。
しかしながら、千葉県警としては正式のコメントとしてですね。
千葉においては拉致は無いというふうに言明をされたわけです。
これ今どうなっているのか?私つぶさには知らないんですけど。
警察の方でもですね、この千葉には拉致は無かったと。
無いという見解をですね、ぜひ改めて頂きたいなと思っております。
少なくとも千葉において、拉致の容疑は濃厚であるという方の存在は認めていただいてですね。
やはり千葉県警挙げて、古川了子さんをはじめとする特定失踪者の問題に全力で取り組んで頂きたいと、思っております。
そうなんですけども、あまり警察ばかり責めているわけにはいかないんですね。
私どもが拉致問題を始めてからしばらくの間。
そして特定失踪者問題調査会と言うのを立ち上げてからしばらくの間、私も千葉には何度もお邪魔していろんな方と話をいたしました。
ところがお会いした方々皆さん異口同音に「千葉?千葉に拉致あるわけないよ」と。
「日本海側じゃないし、太平洋側だから拉致なんて無いよ」
いうのが警察の方々、他の政府機関の方々、そして普通の住民と言いますか市民の皆さん方も同じようなコメントが返って来ておりました。
それだけですね。
やはり太平洋側の、新潟と反対側の太平洋側の千葉県ですから、当初そういう認識を持たれていたと言うのはある意味では自然なことなのかな?と思っておりますが。
今に至ってそのような認識を持っていらっしゃる方、まさかいらっしゃらないというふうに私信じておりますけども。
信じるどころか私自身は、この千葉県と言うのはこの拉致問題を解明するに当たって、とっても重要な場所であると言うことを認識したわけであります。
このきっかけになったのがいわゆるカッコ書きの「大町ルート」と言う物であります。
このカッコ書きであるのは、まだまだ検証していかなければならない部分がたくさんありるので。
確証にまでは至っていないのですけど。
調べれば調べるほど大町ルートに怪しい存在と言いますかね。
拉致との関わりが大変強いルートだなと言うことを認識しつつあります。
で、もちろん、こうした拉致ルートと言うのは全国にいくつもあると思っております。
そこが具体的にどこなのか?と言うのが中々解明されていないのですけれど、少なくとも拉致された被害者と言うのを運ぶルートと言うのがあるんですね。
田口八重子さんは東京の池袋のど真ん中で、工作員によって誘き出されているんです。
仕事場から誘き出されてそして、まだまだ分からないんですけど、宮崎県の青島海岸まで連れて行かれてそこから工作船に乗せられて運ばれたと。
言うことのようなんです。
まだこれはハッキリ分かっていません。
とすると、当然東京から遠路はるばる2000キロくらい離れている宮崎の青島海岸までどうやって運んだのかな?と、言うことなんですね。
それだけの長い距離を運ぶとすると、そうとうご苦労が工作員にも発生していると思います。
車で運ぶとするなら何泊もしなきゃなりませんね、当時としては。
一人や二人じゃ絶対無理です。
工作員だって腹が減るからどこかで飯を食わなきゃいけないし、トイレ休憩しなきゃいけないし。
と言う所で普通のドライブをしているような物じゃないわけですから、当然そこで協力者と言う者が存在しなければ、それだけの距離を運べることは出来ないわけですね。
その協力者の存在なくしてこの拉致問題は無いと言う前提に立って、大町ルートと言うものをまた眺めて見ると、いろんなことが分かってきたと言うことでございます。
最初にちょっとこの大町ルートと言うものをですね、時間が許す限り詳しくお話したいと思いますけども。
お手元に大町ルートの地図がございますですかね?(大町ルートの地図はこちら)
ちょっと暗くて見辛いかと思いますけど。
これに基づいてご説明をさせて頂きたいと思います。
この絵はですね、私どもが作ったんじゃなくて、特定失踪者のご家族で高野美幸さんという方がですね。
一生懸命作ってくださったもので、大変重宝しているのですが。
これに基づいてお話をしていきたいと思っております。
この大町ルート、出発点が銚子周辺という事になります。
我々が知る限り、このきっかけになったのが実は加瀬テル子さんを調査している中でですね。
出て来た訳です。
私が初めて加瀬テル子さんの叔母さんにお会いしたときに、叔母さんの口から「当時この海上町で砂鉄を取っていました」と。
で、「その砂鉄の採集に日本人はもとより在日の人がたくさんいましたよ」と。
言う話から、これは一体どういうことなのかなぁ?というふうに強い関心を持ちまして。
今日も来られていますが、加瀬さんの従兄弟の仲條さんなどとも一緒になって色々調べていくうちに。
砂鉄のみならず当時はあの海上、海上町とか隣の旭市では水飴を作っていましたと。
それも日本人の人たちも作っていたけど、在日の人たちも作っていて、加瀬テル子さんの家もご実家も、そういった砂鉄だとか水飴にも関わっていて。
在日の人たちがよく加瀬さんの自宅の方にも良く来られていたということが、だんだんだんだん明らかになってきまして。
これいったいなんだろうな?ということでした。
そして水飴と砂鉄がどういうふうに使われるんだろうというふうに、考えました。
すると砂鉄と言うのは当然上質の金物ですね。
刃物ですとかね、そういった物に大変有効ですし、高品質の鉄が出来るわけですが。
それがですね、どうも新潟方面・富山方面に当時運ばれていたと。
それがどうも北朝鮮にも渡っていたようだ、ということでした。
それから水飴の方なんですけども、水飴も同じようにどうも新潟方面・富山方面に向けて運ばれていたようだと。
北朝鮮にも送られていたようだと言うことなんですが。
水飴と言うのはですね、朝鮮の焼酎がありますですよね?
韓国で言うと「ジンロ」が有名ですけど。
ああいった朝鮮の焼酎の味付けに水飴と言うのが使われているようですね。
水飴と砂鉄と言う物がこの銚子周辺で採られていて、千葉市を経由してどうも東京そして山梨・長野そして新潟方面・富山方面に運ばれていったと、言うことが判明してきました。
それで拉致とは結びつかなかったんですけど、これをヒントにですね。
大町ルートと言うものを何度も調べているうちに、類似した産品が明らかになりました。
それはテングサなんですね。
寒天の材料になるテングサです。
戦後ですけれども、当然水飴とか砂鉄とかも戦後の話なんですけども。
このテングサと言う物もですね。
この地図にもありますけども、大島とか新島・三宅島といったところでですね。
採取されていました。
このテングサを取っていた人たちが、当時在日の人たちだったわけですね。
在日の人たちがテングサを採って、それが横浜に運ばれてこの大町ルートを伝わっていって、これは北朝鮮ではなくて長野の名産になっていくわけです。
テングサというのはトコロテンの材料になっていくんですが、トコロテンの産地ってご存知でしょうか?実は長野なんです。
何で長野が、海の無い長野がトコロテンの産地なんだ?と大変興味を持ったところ、このルートを使ってですね。
戦前ですよ?
テングサが運ばれてきたということになるわけですね。
(筆者注: 寒天はテングサの煮汁を厳冬期の外気に晒し、いわゆるフリーズドライにして水分を抜いて作ります。寒天作りには冬の厳しい寒さが絶対に必要。長野は寒天の産地として有名な所です)
それから朝鮮総連との関係もこのルートで探してみた所、たくさんのことが分かってきました。
まず朝鮮総連直営のパチンコ店というのがこのルートに一杯存在します。
特に多いのがですね、実は山梨なんですけどね。
そういったところに、こういったルートに朝鮮総連が直営店というのがたくさんあるんですね。
全国で40〜50あるんですけども、このルートになぜかたくさん有るということですね。
それからさっき増元さんの方からお話がありましたけど、山形の方には不思議と朝鮮総連の直営パチンコ店が多い所なんですが、これはちょっとあれですけども、そういったルートでありました。
それからいわゆる協力者と言いますが、土台人と言いますね。(後ろのホワイトボードに「土台人」と板書する)
まぁご存知の方いらっしゃいますと思いますが「トテイジン」といいますけども、日本語で土台人と言いまして、言葉の通り土台を作る人、と言う意味で。
日本に定着をして様々な活動をする人たちを称して、この土台人ということになります。
この土台人と呼ばれている人たちが、おそらくはこの拉致、最初に申し上げましたが拉致された被害者を運ぶ上で重要な役割を果たした人たちだろうと思っています。
その土台人だろうと思われる人たちがこのルート上にたくさんいるということです。
名前は分かっていますけども、ここでしゃべっちゃうと名誉毀損で訴えられちゃう可能性がありますので、それは避けるといたしましても。
日本の朝鮮問題でとっても重要な役割をというか、大きな事件に絡んだ土台人がこのルート上に存在しています。
一番有名なのが、朴・チョンヒ大統領が狙撃事件と言うのは皆さんご存知ですか?
奥さんが殺されましたですね。
こういった壇上にムン・セガンという男が近づいてきてバンバンと撃ったら朴・チョンヒ大統領に当たらなくて、奥さんに弾が当たって亡くなったと言う事件ですが。
そのムン・セガンという人物は日本で交番を襲ってですね。
交番のお巡りさんの拳銃を盗んで、それで韓国に渡ってそしてその事件を起こしているわけですけど。
このムン・セガンを日本で匿っていた人物がこのルート上に存在するということです。
それからもうひとつ行きますと、有名なシン・ガンスと言うのがいますね。
原敕晁さんの拉致の実行者ですね。
もちろん超有名人ですけど。
これのシン・ガンスを匿っていた人物もこのルート上に存在します。
と、言い出すとキリが無いんですけど、要するにこのルート上にこう言うふうにですね。
いろんな工作活動をするうえで重要な役割をする土台人がいる、ということです。
それからこれも固有名詞を申し上げるとちょっと難しいんですけど。
足立区にあるN病院。
N病院といえば、ご存知の方はあぁ、あそこだとなるわけですけど、このN病院と言う物が在日の大物が経営する病院なんですけど、ここが当然大町ルートに存在し。
尚且つですね。
このN病院の保養施設がこのルートからちょっと外れるんですけども、鴨川と○○(エミ?エミリ?ハッキリ聞き取れず)にあります。
当然ここが何らかの工作活動に使われたのじゃないか?と想像をしていたわけですけども。
これは後でお話しますけども、こういった施設がたくさんこのルートに存在します。
それからこのルートの重要性を示す一つの事件としてですね、有名な黄長Y書記さんていますよね?
北朝鮮から亡命した方ですけれども、今韓国にいますけど。
超大物の方ですけども。
この方がですね。
韓国に亡命する前に日本に立ち寄っておられるわけですね。
ルートと言うのはですね。
この逆コースです。
大阪空港から富山に抜けて、富山からからこのルートを使って長野に抜けて、そして甲府に寄って、そして東京の小平市。
私の住んでいるところですけど、そこに朝鮮大学校と言うのがございます。
朝鮮総連の経営する大学校ですね。
そこに立ち寄って東京方面に行って、そこから中国に渡って、そこで亡命をしたと言う経過になってますから。
この黄長Yさん、通った所はですね。
ただ通った所じゃなくて、拠点拠点に重要な人たちがいたわけです。
そこの重要な人たちと色々な話をしながら、何の話をしたか分かりませんけど。
話をしながら亡命ルートを辿って行ったという意味で、ルートと言うのはとても彼らにとって大事なルートなんだな?という事に気が付いたわけです。
そしてですね。
言い出せばキリが無いんですけども。
特に重要だなと思っているのは、旧日本軍の基地。
それから軍需工場との関係です。
どうもですね。
日本軍の基地があったところ、それから重要な軍需産業があったところから、そうした失踪なり何なりが有るなと感じたわけですね。
それを具体的に千葉で言うとですね。
香取航空隊基地になります。
旭市ですね。
加瀬さんの所の海上町のとなりの旭市に香取航空隊の基地の跡がありますね。
現在でも。
ここでそのとなりで加瀬さんの事件が起こったわけですけれども。
この香取航空隊基地は誰が作ったかと言うと、皆さん大先輩の方はご存知だとおもいますけども。
戦前のことですから、徴用と言う形でですね。
多くの在日の方がそこの基地を作るのに従事した。
その後戦争が終わってその在日の方がどうなったか?ということです。
戦争直前に朝鮮半島から徴用としてこの基地の建設に携わった方は戦後戻っています。
しかし戦争以前から日本にずっと長く日本に居住していた在日の人たちは、そのまま日本に残るわけですね。
そういった環境がじつは軍需産業の中にもあるわけです。
この中で一番重要な、たくさん有るんですけども、この軍需産業の一番重要なところは実は大町にございます。
長野県の大町ですね。
そこも今ある大きな工場があるんですけども、それは当然戦前に出来まして軍需産業として作られた所です。
そこに同じように在日の人たちがあそこで建設に携わり、そしてその戦争が終わったらその近くに住まわった、と言うことなんですが。
そこに先ほど申し上げましたような土台人と呼ばれる人たちが、そこに住んでいらっしゃると。
言うことでございます。
ですから拉致と言うものはですね。
闇雲に行われた物ではなくて、そういう歴史的な背景・歴史的な経過の中から、どうも土台人という人たちが点・点・点と存在をし、そこに北朝鮮からやってきた工作員ですね。
シン・ガンスのような工作員が、そこを転々としながら拉致・その他対日工作の拠点としていたであろうということですね。
その中で本国からですね。
拉致指令と言うものが来た時に、そういう周辺にある意味では物色すると。
対象をですね。
いうことになっていって実行されていく。
そういうことですから、どうも拉致と言うのはですね。
現れて来ている現象は点なんですけども、どうも点だけではなくって線があるようだというふうに今思って来ております。
ちょっと大町ルートから外れますけれども、今ちょっと私の方で作業しているのは、いろんな拉致被害者・特定失踪者、1000番台リストとか写真が出て来た方々は点・点・点と存在するんですけど。
どうもこれは皆つながっているようだと、言うことで調べようと思っています。
今日は古川了子さんのお話ですから、古川了子さんを中心にちょっと書いてみたいと思います。
ちょっとクールビズで失礼したします。(上着を脱いで、後ろのホワイトボードに向かう)
まだ整理中なんであの上手くご説明できるかどうか分からないんですけど。
古川了子さんがここにいらっしゃいますが、古川了子さんの証言をした人が安明進ですね。
で、安明進はたくさん日本人を見ていると言っています。
北朝鮮でですね。
20人ぐらいは日本人を見たというふうに証言をしておりまして、そのうち判明している人がまだまだ少ないんですけどが、20人くらい日本人らしき人ですね。
その中でこの人は間違いないというふうに証言したのが古川了子さん。
そしてですね、藤田進さんです。
藤田進さんと言うのは大町ルートに存在する川口の方ですね。
写真が最初に出て来た方が、藤田進さんです。
そして実はこれに関わったKと言う人物がいます。
と言われているという人物ですけど、このKと言う人物は、実は今日も来られていますけど加瀬テル子さん、を北朝鮮で目撃したと言っています。
そして藤田進さんを自分が運んだと言っているわけです。
これは週刊新潮で出てますから、新しい情報ではないんですけど、Kと言う人物が藤田進さん。
この大町ルートをほぼ通って運んだと言っています。
このご存知の方もいると思いますけど、加瀬テル子さんは夫といわれている人がテレビでも明らかにされていますが。
この夫となる人物が非常にポイントとなる人物で、この人も拉致された日本人なんですけれども。
加瀬さんよりも年上で、日本の国立大学を理科系の国立大学を卒業した当時としてはエリートの人だったというふうになってますが。
この夫と言う人が、実は拉致された日本人を管理する部署の課長の役割を担っていたと言う人物です。
この人物はまだ分かりません。
そしてこの間の記者会見で出しましたけど、北海道の国井えり子さん。
網走から失踪した方で、記者会見をやってテレビでもご紹介していただいたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが。
この国井えり子さんと加瀬テル子さんと藤田進さんと古川了子さん。
それぞれ時期もバラバラ、場所もバラバラです。
でもこういうふうにつながって来ていることが実は明らかになりました。
この中の延長線上に千葉の特定失踪者の方々が存在するという事になります。
実は今日もこの会場にその特定失踪者のご家族がお越しになってますけれども、来週月曜日に記者会見して発表しますので、今日はご紹介はいたしませんけれども。
匿名でご紹介だけさせて頂きますが。
古川了子さんと同じ高校で、2歳年下なんですけど学年が、古川さんが早生まれなので学年は3つ違いますが、同じ千葉商業高校です。
2歳年下の方が女性がXさんとYさんと、そしてZさん。
この3人が古川了子さんの失踪の1年後千葉市内で失踪されています。
そして来週発表するのはこの3人のうちのお一人だけになります。
ご家族の今調整中なのでとりあえずこのXの方の発表だけに留めさせて頂きますが。
古川さんと同じ高校で古川さんと同じ年頃で古川さんと同じような場所で、3人一緒に居なくなってます。
Xさんは女性、Yさんは同級生で女性です。
ZさんはXさんの親戚筋に当たる方で男性です。
この3人が一緒に食事をして、Zさんが自分の車で2人を送っていって食事の所にまた後で戻ってくるよと言ったまんま、失踪です。
それでこのZさんの車はいまだに発見されていません。
実はですね、Kなる人物は曖昧なんですけど、まだまだ調べ切っていないんですけれども。
というかKなる人物の証言は、本当なのか嘘なのか記憶違いなのか分かっていませんけども。
調べようが無くって今は困ってるんですけども。
同じように千葉市内で2人の女性を藤田さんと同じように運んだと言う証言がありまして、どうも本当か嘘か分からないんですけど、なんらかの関係があるのかもしれません。
ただ、あまりにも古川了子さんと時期場所が一緒だし、高校が一緒だと言うことで我々としては重大な関心を持っているところです。
ご存知のことと思いますが、古川了子さんが拉致された周辺でAさんBさんという、今日もここにお越しですけれど、まぁ榎本さんが、榎本さんごめんなさい名前出しちゃって。
榎本さんなり、Bさんなりが当時とても非常に不思議な経験をされている。
その不思議な体験というのは拉致未遂ですね。
同じ千葉商業ですね。
3人千葉商業、ここも千葉商業。(ホワイトボードに書き込んだX・Y・ZとA・Bの文字を指し示す)
と言うことでどうも当時、千葉商業の周辺で何かがあったのではないか?と。
余りにも不思議な未遂事件、拉致事件、失踪事件。
とにかく同じような時期場所で起こっていると言うことは、これは我々としては非常に注目していきたいと思います。
それからこれが加瀬さんの周辺でですね。
実はたくさん失踪してますね。
公開されている方が、伊藤克(まさる)さんて方です。
お隣の旭市で農業を営んでいた伊藤克さんですけど、時期が全然ずれるんですけど、有名なメロン農家でした。
千葉県でもコンクールで金賞を取るくらい有名なメロン農家なんですけれども。
この方が仕事仲間と一緒に、東京へ出張に行って3人で行って3人で旭市まで戻ってきて。
じゃあねとタクシーに乗ったきり、家に帰ってこられていないと言う事件です。
タクシーの運転手は伊藤克さんの同級生の方でして、家の前まで送ったよと。
家の近くまで送ったと。
送って帰る姿を見たけどそれが最後だったと、言うふうに証言されているんですけど。
私もその現場に何度も行きましたけども、何があったんだろう?
一体何があったのか?という所でしたが。
実は調べますと、伊藤克さんと加瀬テル子さんの本家筋というか、あれは何ていうんですか?
親戚筋に辿っていきますと、お隣同士です。
ご本人同士がほぼ同い年なんですけれども。
同い年なんですけど面識があったかどうか?という所がひとつのポイントになるんですけど、現在の所この2人が昔々、面識があったかどうか?と言うのは明らかになってませんが。
ほぼ同い年ということですから、非常に注目しているところですね。
千葉ではたくさん他にも失踪があるんですけども、公開されている方では鵜沢幹雄さんと言う方ですね。
御宿(おんじゅく)。
御宿で失踪されていますけれども、とっても不思議な失踪で。
会社の忘年会で皆でわ〜っと飲んでいて、酔いを醒まして行くよと言って仲居さんのサンダルをですね。
借りてふらふらふらふら海岸の方に歩いていったのが、同僚が見られた最後の姿なんですが。
この御宿の海岸で夜釣りをしていた方が、そのふらふらふらふら歩いている男性を見ましたと、言う証言をなさって頂いてまして。
その方が曰く、そのふらふら歩いてきた人物を介抱するような形で連れて行った男性がいます。
で、どこか遠くに一緒に歩いていきました、と言う証言があります。
それはとても重要なので、この介抱した人物は誰か?と言うことなんですけども。
いまだに現れていません。
これは一体誰だったんだろう?
つまり鵜沢さんは自殺とか事故ではないということですね。
その鵜沢さんの履いていたと言う女性物のサンダルが道路に落ちてましたので。
落ちてたと言うか転がっていたので、事故じゃないか?と言うことで終わってしまってるんですけども。
その目撃証言があるわけですし。
事故の形跡が全く無いという事件なんですね。
いったい鵜沢さんはどこへ行っちゃったんだろう?と。
それから鵜沢さんを介抱していた人物は誰なんだろう?と。
いまだに現れて来ていない事件ですね。
それからですね。
千葉で怪しい事件はですね。
これは千葉ならではと言う事なんですけど、印刷関係の方の失踪が多いということです。
これもマスコミでご紹介されているのでご存知の方もいらっしゃると思うんですが、千葉の西・東京の東地区に失踪の方が多発しているんですけども。
それがなぜか印刷関係の仕事に就かれていた方が多いということです。
千葉大と言うのはですね。
とても印刷業界の中では有名な大学なんだそうですってね。
で、千葉大の卒業の方も失踪されていますが。
それがですね、マスコミの方が一生懸命調べて頂いて、印刷関係の失踪者の方の経歴。
それからどういう分野に優れているか?を分析すると、だんだんだんだんレベルが上がってきているんです。
最初に失踪された方は職工さんという形ですね。
それで最後に失踪されている方は、千葉大を出てちゃんと理論的に印刷を勉強されてきた方だと。
で失踪がストップ。
後は印刷関係の人たちは、失踪は無いんです。
そのときその時期その場所でしか、印刷関係の方の失踪がないという不思議なことなんですが。
それと北朝鮮における偽札作りですよね。
偽札作りが作られていくプロセスと一致するということです。
偽札も最初は粗悪品って言うんですか?
今や本物のドルよりも、アメリカで刷られる本物のドルよりも精巧な、北朝鮮製の偽ドルが出回っているわけですね、アジアに。
スーパーKという本当にアメリカ人もびっくりと言うくらい、細かい本物のドルよりも細かい精巧な。
拡大するとですね、本物のドルの線はやはり滲んで来るんですって、拡大すると。
しかし北朝鮮製の偽ドルはそれがクッキリと入ってるとかですね。
やはり高度な技術を持っていることは間違いない。
じゃあいったい誰がそのドルを作るんだい?
という事になると、とてもとても北朝鮮の国内だけでそうした偽札を作る技術を入手するとは思えませんね。
と言うことは、これから先は推測な訳ですけども、こうした技術がやはり日本から持ち出されたのじゃあないか?と。
いうふうに思うわけです。
これがまだまだ推測の域を出ていないわけですけども。
もしかしたら?と言う状況でございます。
後10分しか無くなってしまいました。
もっとたくさんお話したいことが山ほどあるんですけども、というふうにですね。
千葉県の失踪と言うか拉致と言うものは、最初に申し上げましたように、千葉県警本部長が議会で答弁した状況とは全く違う可能性がある、ということです。
千葉と言うのはある意味で非常に重要なポイントの一つではなかったのか?というふうに思います。
現在千葉県内にお住まいの特定失踪者のご家族が、19人いらっしゃいます。
もちろん失踪当時から家を出て移られた方も含めて、ご家族が19人いらっしゃいます。
それから千葉県で失踪された方というのが15人いらっしゃいます。
ダブってる方もいらっしゃるし、ダブってない方もいらっしゃいますが。
それくらいの数になっておりまして、その特定失踪者の方々が全員拉致とは私どもも思っていません。
当然他の事件・事故と言ったようなことがありうると思っていますが。
我々の活動を始めて約2年半。
440名くらいの失踪者のご家族から届出を頂いておりまして。
そのうちですね。
日本で何らかの形で元気で暮らしていらっしゃる方、残念ながら自殺されていた方、残念ながらも死亡されていた方というのは分かった方は13名しかいらっしゃりません。
これだけ我々がマスコミの皆さんのご協力を頂きながら、テレビや新聞・雑誌等々で取り上げて頂いて。
ポスターなども広めて頂いているのにも関わらず、日本国内でそういう結論が出た方がわずか13人と言う現状ですから。
我々なりにもっと良く探せばということなんでしょうけども、本当に真相と言うものはまだまだ闇の中、と言う状況でございます。
それとですね、時間の関係でひとつだけ千葉の関係でご紹介しておきたいなと思うのは万景峰号ですね。
千葉県、千葉にいつも来ている万景峰号、ああごめんなさい新潟港、新潟港に来ている万景峰号ですね。
それともうひとつ忘れてはいけないのは普通の貨物船ですね。
これと千葉との関係なんですけども。
実は万景峰号は何度か更新されているわけですが、古い昭和50年代くらいの前の前の万景峰号が実はですね。
横浜にも入っています。
茨城の日立港にも入っています。
それと不思議なのはですね。
変な動きをするんです。
元山というですね、朝鮮半島のこの辺にありますね、元山。
それと日本の港に来る経過に変な動きがあるんです。
日本一周する旅があるんです。
元山を出ましてですね、横浜に寄ります。
横浜を行く時はまっすぐ九州を渡って来ないから、このあたりから四国がここで横浜に入ります。
そして青森に寄ります。
そして戻ります。(ホワイトボードの日本列島の略図を書いて線を示しながらの説明)
ちょっと分からないんですが、最初に横浜に来て青森に来て元山なのか?
ぐるっと回って横浜港なのか?ちょっとハッキリしないんですけど。
要するに日本一周の旅を万景峰号がやるときがたまにあります。
不思議なことはですね。
さっきの大町ルートとの関係なんですけども。
さっきの地図の大町ルートの最終地点ていうのがですね。
富山方面のですね、赤い線で日本海側へ出ているところ。
これが糸魚川市の所まで行ってるんですが。
この線は実は西に行きます。
西に行ってずっと、富山湾をず〜っと西に行きましてここに「伏木(ふしき)」という。
あんまり聞いたことの無い地名でございますが。
富山湾の新湊の隣で貿易港がありますが、その西に伏木と言う小さな港があるんですけど。
でも国際港なんで、なぜか万景峰号がそこに何回も入ってるんです。
で、不思議、洒落じゃないんですけど、不思議なのはですね。
ここの伏木港で一杯失踪があるんです。
アベック事件がありますね?
富山のアベック未遂事件。
これが伏木港から車で10分も行けば現場になりますし、伏木港で失踪した人がまさに山田健治さんと言う人ですね。
1000番台リストに入っている方なんです。
拉致濃厚と言う方なんですけど。
そういう所に入っています。
本当に不思議なんです。
何で伏木みたいなところで万景が入るんだろう?
それからなんで日本一周するようなあえて航路を取るんだろう?
それから言い出すとキリが無いんですけど、なんでこんな所に泊まるの?というのがここに七尾と言うのがあります。
この伏木のちょっと先に七尾と言う、余り聞かない地名があるんですけど。
ここになぜか万景峰号が停泊した時もありますし、なぜかずっと海上に泊まっているというときもあるんです。
港に入るわけでないし、今ほど厳しくないわけですから、まぁいろんな事情があったんでしょうけど。
そういう状況があります。
それから北朝鮮の貨物船と言うのは、我々救う会がいつも新潟で万景帰れ〜とか言ってますけど。
まずご存知の通り今でも貨物船は一杯入っているわけですね。
私も現場を見ましたけれど、いまだに堂々と入ってきています。
当然貨物船は千葉港にも入ってきてます。
安明進ですね、横田めぐみちゃんを目撃証言した。
安明進はいつも「貨物船に気をつけろ、貨物船に気をつけろ」とず〜っと前から言ってます。
「貨物船じゃないんだからあれは」と。
「工作員が乗ってるんだから」と。
「あそこに小船が入っていて、モータボートみたいのがあって、それから上陸しているんだから、気をつけなさい」と。
言うことを何度も言ってますね。
それがやはりひとつの大きなポイントになろうかと思っています。
もう時間も無いんですけど、実は今でも工作船が入ってきているということは皆さんご存知かなと思います。
3年前には二つの事件がありましてですね。
ひとつは島根県で起こりました。
ダイバーと言うのが巨大なイルカと言うのをですね、見つけて大騒ぎになったと言う事件が3年前にあります。
で、ダイバーの人たちの話を直接お聞きしまして、巨大なイルカどころじゃないと。
イルカだったら、必ず水面に出て息をすると、そんなもんじゃないと。
20メートルくらいの大きな物体が水面下にいたと。
四角かったと。
そこに潜水艦のですね、こんなのありますね?(ホワイトボードに絵を描きながらの説明)
ここに翼みたいのがありますね?
こう言うものが出てて、ここにアンテナがあったと。
これは20メートルくらいの半潜水艇って言うんです。
要するに母船から降ろされてですね。
そこで半分潜りながら上陸すると言う船です。
これがだいたい長さが20メートルくらいあります。
どんなことをするかと言うと、工作員が上陸するためでありますし、それから工作員を回収するために使うわけです。
これが実は3年前に島根県で発見されているし。
この大町ルートの日本海側に出て行った糸魚川では、魚雷型の潜水艇が。
糸魚川の姫川と言うんですけどね。
姫川の河口に埋められているのが発見されています。
これは2000年になってからですね。
21世紀の話です。
そういう活動は現在でも続いていると言うことでございましてですね。
『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話 その3』
あまり物事を騒ぎ立てるつもりは無いんですけれども、やはり我々としてはさっきの増元さんの話じゃないですけども、こんなことで大丈夫なのだろうか?と。
あんまりにもちょっと平和はいいんですけれども、余りにこういう事に、こういうことを見逃しすぎていないだろうか?と。
平和は大切だけれども、それのみでやっていると、こういう拉致被害者と言うものが見捨てられてきたわけですし。
これはやはり毅然としてですね、対応していかなければならないし。
何よりも国民の皆様お一人お一人がですね。
本当にこんなことで良いのだろうか?と言う思いをですね、持っていただかなければいけないと思っています。
拉致問題の全容はほとんど解明されておりません。
我々もまだ一部しか分かっていません。
この拉致問題の解明の責任者は誰か?という事になると、当然政府のしかるべき機関という事になると思いますが。
いまだに拉致問題を専門に取り組んでくれる機関というものが存在しません。
警察は国内の調査はしますよと。
しかし一歩外に出たら、我々の手の及ぶ所ではございませんとおっしゃるし。
何よりも証拠が無いんだから、どうにもなりませんと。
拉致と言うのは証拠を残さない犯罪ですから、証拠が無ければ警察としてもどうしようもありませんということになってしまいます。
と言うことは見捨てると言うことと同じなんですね。
じゃぁ警察が出来ないんだったら、どこかがやってくれなければならないんですが。
警察以外にありません。
だから、しょうがないから我々貧乏所帯がコツコツやるという事になっちゃうんですけども。
こんなことで拉致問題の全容解明が、全員の救出と言うものが出来るのか?というふうに思っております。
小泉首相は来年9月任期が過ぎたら、引退するなんて仰ってます。
有終の美っていうものを飾るんだったらですね。
この拉致問題を全面解決まではいかないけれども、少なくとも政府認定の被害者の救出と、それから特定失踪者の方々の解明と救出に取り組むだけの、きちっとした責任のある機関と言うものを作っていただきたいなと。
それでこそ男・小泉純一郎で。
オペラなんぞに行ってる暇はないはずでございますね。
そんなことを常々考えていますが、ちょっと時間がオーバーして来ました。
先ほど話しましたけれども、加瀬テル子さんの従兄弟の仲條さんがお見えです。
ちょっとこの場を、私の方からお願いしましてですね。
ぜひ千葉県でも同様の拉致の疑いが濃いと言う、と言うか拉致被害者がいる。
加瀬さんの場合はモロですから、写真が出て来てますからね。
その救出の為に仲條さんの方から一言、お訴えの時間をいただければと思いますので、よろしくお願いします。
じゃあ仲條さん、お願いいたします。(拍手)
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4.仲條富夫さん(加瀬テル子さんの従兄弟)のお話 次へ▼
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本日はどうもありがとうございます。
この場を借りまして一言お願いを申し上げたいと思います。
実はこの7月3日の日に古川さんが最初に市民集会と言うことで集まりましたが、私も参加させてもらいましたけど。
そこで加瀬テル子の方のまぁ集会と言うことで、7月3日の午後7時からと言うことで集会を開きますのでぜひご参加いただければ幸いです。
それと先ほどここで言うと真鍋さんから叱られるかもしれませんけど。
増元さんも言ってたんですけども。
拉致被害者と言うのは、私ども古川さんもそうですけども、特定失踪者じゃないんですよ。
残念ながら。
ただ、そのために古川さんまず手始めに裁判を起こして、なんとかその政府認定を取りたいと。
いうのが切実な特定失踪者のその願い。
他の家族もそうですけど残念ながら今、個人個人で古川さんも大変だと思いますけども。
私どももそうですけど、今日お母さん見えてますけど。
加瀬テル子の父親も叔母も、もう歳とって正直な所そんなに先が無い身なんですよ。
その点では古川さんも私ども一緒なんで、ぜひなるべくなら何ていうのかな、待っているんじゃなくて。
もう少ない命を燃やしてますんで、皆さんのご協力無しにはこれ政府認定の方取れませんので。
ぜひご協力頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。(拍手)
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5.質疑応答 次へ▼
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★質問者1
すみません、今仰った加瀬さんの7月3日の集会のお知らせ、ちょっと内容を教えてください。
場所とか時間とか。
※仲條富夫さん
すいませんです、申し遅れましたけども。
今ペーパーの方がありますので担当者の方から配らせて頂きます。
そうでなければ出たときにでもお手元の方に届くようにしたいと思います。
場所は千葉市民会館で、午後7時開場になりまして7時半からの講演ということでお話させて頂ければなぁと思います。
先ほどちょっと言い忘れましたけども、今こういう現状ですので、やはり何べんも何べんも言われてるんですけど。
定失踪者と拉致家族というのは温度差があるものですから、中々同じ壇上に立てないんですよ。
昨年の例の日朝の時でもですね。
増元さんは言わなかったと言ってたんですけど。
その時は加瀬テル子の件は一行だけ、いわゆる特定失踪者と。
言うことで片付けられてましたので、古川さん他の特定失踪者いたんですけども。
皆さん一件一件こういう形で説明した中では、私どもはプレハブの所にいて一段落、まぁ一緒くたですよね。
そういうような感じになってますので。
それではちょっと知り合いと言うか、そういう事に詳しい、内閣認証の方のNPO法人でアジア人権会議と言う。
これはぜひ人権の方で政府の方に圧力をかけて、特定失踪者一緒になって進んでまぁ政府認定。
まずそれが一番だと思いますので進んでいきたいということで。
今回古川さんの席にお邪魔して皆さんにお願いしたいということでございますので、ひとつよろしくお願いします。(拍手)
※真鍋貞樹氏
すみません、ちょっとお時間があるようですので、ちょっと私の方からですね。
古川さんの訴訟との関係、それと仲條さんの今の発言の中で重要な意味を持つのはですね。
拉致の認定基準です。
いったいどの基準でですね、政府は拉致被害者と認定するんだ?と。
言うことがこれから裁判で争われることになります。
で、弁護団としては、政府の拉致基準は曖昧であるから、曖昧な物を正してきちんとした拉致基準を示せ、というスタンスになっています。
というのはなぜか?というと、皆さんそうでなければ古川さんが拉致なのか拉致でないのか?ということが結論が出ないからだという論理なんですけども。
我々で心配しているのは、政府は拉致基準のハードルを高くしてくると思います。
要するに証拠がある人は拉致認定をしますよと、これ一言です。
どこにも証拠無いんですよ?
あるのは安明進の証言だけですよね?
古川さんの物ってのは。
しかし、横田めぐみさんの時はどうでしたか?
横田めぐみちゃんを私が見ました。
安明進がそう言ったところからスタートして、後からやればやるほどいろんな事が出てきて、政府は事実上の認定をしていったわけですね。
事実上の、という所がポイントです。
あまりにも拉致基準と言うものを我々が明確にせよと求めれば求めるほど、我々が苦しくなるということもあります。
それとまた別に、これは先日なんですけれども。
拉致基準を鮮明にすることで政府が如何に恣意的というか、要するにいい加減に使って判断しているかと言うことが明らかになる。
まやかしの拉致認定って呼んでるんですけども。
まやかしの拉致認定が明らかになればなるほど政府側は苦しくなるはずだと、いうふうに考えています。
なぜなら一番良い例が曽我ミヨシさんですね。
曽我ミヨシさんについて政府はなぜ拉致認定をしたのですか?と言う根拠は、合理的推測です。
要するに曽我ひとみさんが拉致されたんだから、一緒に居た曽我ミヨシさんも拉致されたと合理的に推測ができるから、ということです。
それで拉致認定しているわけです。
そうすると、加瀬テル子さんの場合はどうなるんですか?と。
北朝鮮から間違いなく出された本人の写真が、日本国内ではなくって北朝鮮から持ってこられた写真が明確に本人であるってことは間違いないにも拘らず、政府は認定しようとしていない。
いったいこれはなぜなんですか?と。
それを政府に突き詰めると、加瀬さんが日本から出たという記録が無いと。
当たり前じゃないか?と。(会場内薄笑いの声)
ね?そういうことを日々やっております、私たち。
だからなにも日本政府、目の敵にしているわけじゃないんですけど、なんでこの日本政府及び腰なのか?
何でこの問題避けて通ろうとするのか?
何で特定失踪者の方々を、本当に言葉は悪いですけど差別するのか?
分かりません。
それはやはり政治的な配慮っていうのがあるんだと思いますが。
やっぱりそれを崩していくのは何か?というと、やはり国民の皆さんの支持しかないのかな?と。
拉致被害者の方々はもとよりですね。
こういった特定失踪者の皆様も、政府はしっかりやれという声をですね。
挙げて頂くしかないのかな?と思っております(拍手)
★質問者2
具体的に何をすればよろしいのでしょうか?
※真鍋貞樹氏
え〜〜〜、世論をどうやって作るのか?という事に尽きるんですが、これはまぁ本当に地道な活動しかないわけなんですけど。
こういった集会をですね、こんな大きな集会じゃなくても良いと思うんです。
10人20人お集まりのときの会合のついでに、ちょっと真鍋来てくれとかですね。
あるいは場合によってはご家族来て話してくれないか?と。
よく選挙のミニ集会というのがありますよね?
そういったものをどんどん広げて頂くっていうことが、世論作りの基本になるんじゃないかと思ってますので。
無理することなく、こういった大きな集会は個人ではなかなか出来ないですけど。
個人で出来る範疇のミニ集会みたいなものを、企画して頂くって事がある意味効果的なのかな?と思います。
今日はブルーリボン付けて頂いておりますけども、もしよろしければ私ども特定失踪者問題調査会で携帯ストラップを作っております。
ちょっとリボンはどうかな?と言うような形の方はですね、それをお勧めしますし。
贈答品にもちょっと利用して頂いて、これはね、拉致問題解決の為にこういったストラップを広めてるんだよ、という形のご協力などもして頂ければというふうに思います。
あとは、やっぱり増元さんがしょっちゅう言われることですが、国民の皆さんお一人お一人がどうやって声を出すか?
どうやって声を、政府なり政治なりに議員さんをはじめとして届けるか?ということなんですね。
手紙とかFAXとかEメールとかでも何でもいいんですけど、そういった形で活動していただければ政府のプレッシャーになるんじゃないかというふうに思います。
ひとりでも出来る拉致問題解決のための運動みたいなものを、お一人お一人でぜひ考えて頂ければ幸いです。
★質問者3
古川了子さんの行政訴訟についてですね。
もし差し障りのなければですね。
報道などでは分かりませんので、今どういう状況にあって今後どうなっていくのか?
もし差し支えなければお話してください。
※真鍋貞樹氏
第一回の公判と言うのは、これは形式的にですね。
お互いに見解を述べ合うということで終わります。
それから次の公判日程を決めるということで、もう30分くらいで終わってしまいました。
終わるものなんですね。
今、弁護士の先生方のやってる作業はですね。
政府が最初に見解を文書で出したわけです。
その文書は一言で言うと、この訴訟を棄却せよと。
要するに政府としてはこの認定うんぬんかんぬんを判断できないから、裁判そのものが成り立たないから棄却して欲しいという、釈明、あれはなんていいましたかね?
(会場の席より、竹下珠路さん「回答書」の声)
回答書と言うものを政府が出してくるんですね。
それに対して弁護団がそんなはずは無い、と言うことを文書でまた出すと。
それを求釈明、求めるに釈明と書くんですけど。
求釈明というものを第2回の公判前に出します。
そこで議論になっているのは先ほど申し上げました、認定基準というものは如何なる物か?という所について、政府に対する見解を求めると。
それ以外にもいろいろあるんですが、そういった作業をしております。
で、8月4日、東京地裁の606号法廷でやります。
で遠い所で恐縮なんですけども傍聴ご希望の方は、抽選になりますけどもお集まりいただければと思います。
これはですね30席ちょっとしか席が無いもんですが、せっかく来られても入れない可能性もあって申し訳ないですけれども。
裁判官に対する心象の良し悪しは傍聴者の数によると、実際上。
裁判官もこれだけ古川さんの訴訟に、こんなに多くの人の関心が集まるんだということが、ひとつの判断材料になるということですので。
30席しかない所に200人300人来られたら私たち頭を下げ続けるってことになるわけですけれども、最後により良い結果にするためにはですね。
ぜひそういったところでのご協力・ご支援もいただければ幸いです。(拍手)
★質問者4
私も千葉商の同窓なんですが、私の方がちょっと年上なんですが。
同窓生に対してですね。
なにか署名とか何とかの活動のお願いと言うのはしているんでしょうか?
※榎本さん
あの、榎本です。
48年卒業の同級生なんですが、今現在はですね。
署名活動というものに関しましては先ほど一番最初にご報告させて頂いたんですが、拉致認定を求める署名を行っておりまして。
それにつきましては3月22日にもう提出いたしましたということで、それ以降は署名についてのお願いはしておりません。
また後、救う会って言うんでしょうか。
そちらの方で経済制裁を求める署名等の協力依頼があれば、また改めてHP等を通じてお願いしようかとは考えております。
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6.竹下 珠路さんのお話 次へ▼
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改めましてこんにちは。
今日は暑い中お忙しい中、こんなにたくさんの皆様にお集まりいただきました。
本当にありがとうございます。
昨年、丁度一年前に、千葉市民会館で千葉集会というものを、高校の同期生の皆さん、そしてこの実行委員会の皆さんが立ち上げてくださいました。
それを考えまして、また今日なんですが。
実は私は昨日、国会を取り巻く座り込みの中に一日座っておりました。
その思いといたしましては家族としては、先ほど何をしたらいいですか?と言ってくださいましたが。
家族としても何をしたらいいのか分からないと言うのが、ここ拉致だと家族がハッキリ確認した2年半。
そしてその前からの32年間の思いなんです。
古川了子がいなくなってこの7月7日の七夕の日で丁度32年になります。
何をしたらいいのか?
当時私は、当時とても仲の良かった友達から、私は長男を産んですぐ後だったんですけども。
「竹下さん、自分の妹だったら何としてでも探し出すもんでしょ?」ということを。
励ましと叱責ともいわず受け止め、投げ掛けられて、苦しい思いをしたことがありました。
しかし、家族であっても親であっても何とかしようと思っても、出来ないことがたくさん有るんです。
(このあたり少し言葉を詰まらせながら語る)
でも出来る所から今出来る事から、動き出そうと思って。
こうして真鍋さんや弁護士の皆さんや救う会の中村さんや千葉商の会の皆さんや、みなさんにご支援をいただきながら。
ああしたらどうだろう?こうしてみようか?と言って、いただけることをではしてみましょうと、動き出す。
その一歩一歩が妹に近づくことなのかなぁ?と思ってそれを精一杯しているのが現実です。
昨年の千葉集会で皆様方に「古川了子を拉致被害者として認定してください」という、署名のお願いした所、たくさんの方々から励ましの署名とお手紙と色々な物をいただきました。
温かい心をたくさんいただきました。
見ず知らずの方々から、本当にあり難い事だなぁと思っております。
そして昨日5時の間にもつくづく思いましたことは、一人ずつの人間の力は小さくて本当に何をして良いのが分からないんですが。
皆さんと一緒にこうしたら良いかも知れないと言う思いを、思いを持って行動を起こしたときに、次第に風が強くなり。
そして政府を動かし、彼の国にいるであろう、私たちはいると信じております。
今も元気でいると信じております、了子の所に届くんだろうなと思っております。
母も一生懸命頑張って毎日暮らしてくれております。
私はその母と毎日ご飯を食べながら、皆さんの力が私たちに勇気を与えてくれるし、日本政府を動かしてくれるんだと信じております。
今後とも何をしていいのか分からない中でも、皆さんのお知恵をいただきながら、一生懸命家族としてまた日本人として多くの拉致被害者を救えるように。
裁判も含めて頑張っていこうと思いますので、どうぞ皆さま力を貸して下さい。
どうぞ声を上げ続けてください。
テレビで拉致の問題と言うニュースが流れた時に「ああもういいわと、進まないのね」と、パチンとスイッチを切ることの無い様に。
「どうなっているの?ちょっとは動いているの?」という、関心を持って見ていただきたいと思います。
今日もこの中に高校一年生の男の子さんが来てくださいました。
昨日も私は実は座り込みの現場でお目にかかった青年です。
こういう若い方たちが自分たちの国の問題だとして興味を持ってくださることが、とても私は力強さを感じますし。
若い人たちにこんなことが二度とあってはいけないんだと言うことを、もっともっと関心の無い若い方たちにも伝えて頂ければありがたいかな、と思っております。
今日はどうもありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
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