《特定失踪者1:tokutei


特定失踪者加瀬テル子を支援する会千葉集会講演録

〜 すべての特定失踪者、拉致被害者を家族のもとへ 〜

 

日 時:2005年(平成17年)7月3日 19時〜21時(開場1840分)
場 所:千葉市民会館 地階小ホール(〒260-0017千葉市中央区要町1−1
    JR総武線千葉駅東口より徒歩7分、総武本線東千葉駅より2分、総武本線沿い
TEL:043-224-2431、FAX:043-224-2439
地 図:<http://www.f-cp.jp/shimin/map.html
主 宰:加瀬テル子を支援する会
後 援:内閣府認証NPO法人 亜細亜人権協議会
協 賛:特定失踪者家族支援委員会
講 演:1.中村実氏(船橋市議特定失踪者問題調査会理事)
    「拉致認定の意義について」
    2.真鍋貞樹氏(特定失踪者問題調査会専務理事)
    「特定失踪者の多数出ている大町ルートについて」
    3.仲條富夫氏(加瀬テル子を支援する会代表、加瀬テル子従兄弟)
    「加瀬テル子の家族の訴え」


-------------------------------------------------------------------------------


  開会のあいさつ

 

司会者(亜細亜人権協議会平野さん)

本日は、忙しい中特定失踪者加瀬テル子を支援する会千葉集会にお集まりいただき、まことにありがとうご

ざいます。私ども特定失踪者加瀬テル子を支援する会は、特定失踪者加瀬テル子の従兄弟である仲條富夫氏を代表とし、内閣府認証NPO特定非営利活動法人亜細亜人権協議会全面支援協力の下、すべての特定失踪者、拉致被害者を家族の許へスローガンに掲げ、特定失踪者加瀬テル子の拉致被害者認定、家族との面会を趣旨として立ち上げ致しました。
 本日は、特定失踪者問題調査会専務理事真鍋貞樹氏、また特定失踪者問題調査会理事中村実(船橋市議会議員)氏をお招きし、講演をしていただきます。それでは只今より、特定失踪者加瀬テル子を支援する会千葉集会を開催いたします。初めに加瀬テル子を支援する会仲條富夫代表、ごあいさつをお願い致します。

  仲條富夫代表のあいさつ


 どうも本日は、お忙しいところご苦労様です。
 まずもって最初にお詫び申し上げます。いろいろ努力をしましたが、皆さん心配していただいた通り(聴衆が3人だけ)になってしまいました。街頭の方でもチラシをお配りしてお願いしたんですが、なかなかやはり特定失踪者ということで、それは他人事、絵空事だなあということを、雨の中も配りしましたし、今日も配らせていただきましたけど…。これが今の現実なのかなあと敢えて申し上げたいと思います。ただ今日来ていただいた方は、私どもとしましても千万の味方を得た思いが致します。


 これからこういう支援をする会を皆さんと共に進んでいくわけですが、最後にいってはおかしいですけれども、加瀬テル子が北朝鮮に拉致されていって向こうの確実に政府間の交渉に乗っていただいた時に、初めて会場が一杯になるのかなあ、という思い、これは自分の不安でもありますし、ある意味ではここで挫けてはいけない。遠い彼の地でこういう催しをしなければ、なかなか向こうの空で住んでいる人たちに声が届かないのかなあという淋しい思いもします。今日大変は申し訳なく思っておりますが、真鍋さん、中村さんの講演の方を是非聞いていっていただきたいなと思います。どうもありがとうございます。よろしくお願いいたします。

 

.中村実船橋市議会議員、特定失踪者問題調査会理事の講演

   ―「拉致認定の意義について」―

 本日は、若干雨も降ってきましたところ、ご参加をいただきまして本当にありがとうございます。特定失踪者問題調査会で、理事を拝命をいたしております中村と申します。
 本日はこういう形でもありますので、ぜひ会場の皆様でご参加をいただくような形で、いろんな質疑応答を始めといたしましたやり取りといったこともあればいいな、と思いながら若干のお話をさせていただきだいと思います。

  政府の不作為を打破するためには

 現在の政府の動きは、ご案内(レジュメ)の通りでありまして、北朝鮮による拉致という犯罪が行われていながらも、これまでの自らの不作為であるとか、ただ自らの仕事が増えるのが困るのではないかと、そんなふうにさえ捉えたくなるような、これまでの政府の動きといったものが多々ございます。
 だからこそ一体どこの国の政府なのだろう、と本当に思うことが皆さん多くあると思います。しかしながらやはり、今の現在におきましては、政府を上手く、一緒に私たちの方向性にと引っ張っていくということ、それがとても大事なことではないかと思います。
 私どもが、例えば北朝鮮の方と直接に交渉できるとか、そういったことであれば、もちろん政府がどれだけ腰が引けていようが、後ろ向きであろうが、まったく度外視をすればかまわないのでありますが、残念ながら今の世の中、北朝鮮との交渉の窓口は、あくまでも政府でございます。
 内閣府、そして外務省、そして様々な諸官庁を、うまくこの問題に対処させまして、的確な動きをしていただく、そのためにやはり、私たち国民世論の声で政府を動かしていくという意気が大変重要であるかと思います。

  拉致は日本海側だけではない

 政府が認定しております拉致被害者の方々がおられます。そしてその一方で、所謂特定失踪者問題、現在政府は拉致被害者認定をしてはいませんが、北朝鮮に拉致された恐れが多分に高い、ほぼ間違いない方々が、我が国の国内にそれこそ全国的にいらっしゃいます。そしてもちろん、この千葉県内にもいらっしゃるわけでございます。
 古川了子さんを初め、加瀬テル子さん、そして現在お名前を明かしても構わないよと仰ってくださるご家族の方々を含めましても、やはり千葉県内におきましては、これまでは拉致という問題はおよそ日本海側の話であると、わたくし自身も思っておりました。やはり北朝鮮による拉致ということを考えますと、どうしても柏崎市、わたくしもその現場を見たことがありますが、柏崎のあの砂浜であるとか、新潟県の寄居の浜辺であるとか、どうしても日本海側の海辺を思い浮かべるわけであります。
 しかしながら、先日の市原集会にもご参加くださった方もいらっしゃると伺っておりますが、その際、真鍋専務理事よりお話しくださった大町ルートの問題もあります。この千葉県内におきまして、昭和40年代、そして50年代、60年代、さらには平成になってからも、何が起きていたのかということを、これはもちろん千葉県内におきまして、様々な所で歴史的な経緯があるわけでもあります。
 たとえば、こちらの市民会館、かつては駅があった(昭和38年に現在の千葉駅ができるまでは、市民会館のある場所が千葉駅だった)と聞いております。そしてこの周辺の土地にもいろいろな歴史的経緯があります。戦争を挟んで、様々な歴史的な経緯を歩んできた千葉県でもあります。
 そしてまた海上郡海上町(「かいじょうぐんうなかみまち」と読む)、今度市町村合併で旭市になると伺っておりますが、その海上という、ほんとに太平洋岸の穏やかな遠浅の海の町でありますが、その町におきまして何が起きていたのかということで昭和40年代に遡るということは、今昭和でいいますとちょうど80年でありますから、40年前を遡るということとなり、大変なことではあります。

  救出運動記事を見ていた蓮池薫氏

 しかしながら、ご家族の方々の苦悩とまた苦しみといったことは、どんなに年月が経とうとも、まったく変わるものではありません。そしてまた、先程も仲條さんの方からお話がございましたが、今現在は、ご家族揃って帰国を果たされましたが、蓮池薫さんがいらっしゃいます。奥土佑木子さんとのご夫妻でいらっしゃいますが、蓮池さんは北朝鮮におきまして、所謂工作員、そしてまた反日活動、所謂我が国に対しましての工作活動に従事をさせられていた方でもあります。
 そういうポジションにおられた方だからとは思いますが、我が国におきましての新聞の報道といったものを知る機会がおありだったわけでもあります。もちろんその蓮池さんも、お仕事をされている以上、あまり我が国においてどういう動きが起きているということは、北朝鮮当局も徹底した検閲をしていたわけではあります。
 しかしながら杜撰というか、彼らとしてはそのあたりの注意が、怠っていたとは思いますが、やはり遠い北朝鮮、距離でいえば本当に近いですが、遠い異国の北朝鮮の地におきまして、本当に意に反しまして辛いお仕事を、強いられていたわけでもあります。その際に、日本での報道といったものをお知りになる機会があったわけであります。
 それが、たまたまその記事が削除をされていなかったのか、また係りの人間が、それはおそらく蓮池薫さんの目には触れさせてはいけないという、そういう記事の内容だったと思いますが、日本におきまして蓮池さんのお父さん、お母さん、そしてまたお仲間の方々が、蓮池さんが北朝鮮に拉致をされたのではないかと
 そして、奥土さんのお母さんも大変年配の方でもいらっしゃいますが、やはりお歳を重ねていらっしゃる、または若年の方を問わず、日本の国の中で蓮池薫さん、奥土佑木子さんを初めといたしました拉致被害者の方々を、一日でも早く日本に取り返さないといけない、そういう思いを抱いて動いている方々が、日本の国にいるということを、たまたまその記事をご覧になることによってお気づきになったのであります。
 どれだけ失意の中で、それこそ夏休みの帰省中の夏の日に、柏崎の浜辺から拉致をされてしまって以降、北朝鮮でどれだけ絶望の日々に立たされていたのか、本当に想像を絶する世界にあると思います。およそ察することのできない世界でありますが、その絶望の淵におきまして日本でこういう運動が起きているんだということをお気づきになった時、蓮池薫さんがどんなお気持ちになられたのか? あまりご本人は、マスコミを通じて言葉をうかがう機会はあまりありませんが、やはりその記事を読まれた時に、周りには気づかれないようにどれだけ心の昂まりというものがあったのではないかと思います。

  救出を待ちわびる特定失踪者たち

 そしてまた同じように、古川了子さん、また加瀬テル子さんを初めとしました特定失踪者の方々も、北朝鮮におきましてそれぞれ歳月を経た形ではありますが、生活を営んでおられるのだと思います。どのようなお仕事に携わっておられるか? 私どもには知る由もありません。
 しかしながら、もしかしたら今日のこの集会のことも、そしてまたちょうど先々週でしたでしょうか、産経新聞の千葉版にこちらの集会の記事が、そしてまた加瀬テル子さんを救う会の活動を多くの方々が起こしておられるとの記事が載っていたわけでもあります。
 そしてもちろん、北朝鮮の情報機関もすべて我が国の動向を注視しているわけであります。7月の3日の7時から加瀬テル子さんを救う会の集会が、市民会館の小ホールであるということも北朝鮮側は、把握しているわけであります。
 その中で、こちらの集会でどういう話が出たか? 参加者がどれくらいいたか? どういう顔ぶれが来ていたか? 逐一おそらく今日の内には北朝鮮に伝わっているわけであります。その中で、もしかしたら今日この7月3日の7時に、加瀬テル子さんを救うために千葉の皆さんが集まって声を挙げていたということが、ご本人の耳に入るかどうか、これは定かではありません。
 しかしながら、どこかで、何らかの形でおそらく特定失踪者の方々同士が、それぞれの任務を遂行している中で、どこかですれ違ったり、お手洗いですれ違ったり、または病院で出くわしたり、様々な場面があると思います。その時、加瀬テル子さんも、片時たりとも海上郡海上町、そして故郷の千葉県を一度もお忘れになることがあるわけがありません。そしてまた肉親の方々、親族の方々のテル子さんとお会いしたいというお気持ちは、1日たりとも薄れることはありません。

  北朝鮮が終の棲家になってたまるか!

 だからこそ、日本におきまして自分たちは、これまで30年、40年とこのまま北朝鮮の地におきまして、北朝鮮が終(つい)の棲家となってしまうと悲痛な思いで、これまでお過ごしでいらっしゃったかもしれません。しかしながら、我が国において政府の責任におきまして、拉致被害者の方々、特定失踪者の方々の人権の回復のために行動を起こされている方々がいらっしゃるということを、何らかの形で耳に止められるかと思います。その時のためにも、やはり私たちが声を挙げていくということ、とても大事ではないかと思います。
 またもちろん世の中の動き、大きな世論の動きの変化といったものもあります。増元照明さん、増元るみ子さんの弟さんでいらっしゃいます。増元さん、当初は北朝鮮による拉致という問題、なかなか世論の中におきまして認識の度合いといったものが、まだまだ薄かった時代でもあります。
 そして当時は、今の政治状況とは違いまして、北朝鮮または朝鮮総聯のロビイストでもありました日本社会党といったものが、大きな勢力を持っていたわけでもあります。それはもちろん国政におきましても、例えば警察本部を所管する都道府県におきましても、大きな力があったわけでもあります。その際に、やはりわかっている人は、皆わかっていたわけであります。
 しかしながら警察当局、そしてまた警備公安警察に到りましても、その実態を掴んでいながらも、警察当局として責任ある使命の履行が果たせなかった、忸怩たる思いであったと思います。そしてまた政治状況から致しましても、金丸信であるとか、ああいったまさに我が国を貶める国会議員といった者が、実力者として我が国の政界に君臨をしていた時代でもあります。
 しかしながらその当時とはいえ、やはり増元さん、お姉さんが北朝鮮に拉致をされたのではないか、その恐れがまさにつのるわけでございます。しかしながら、当時声を挙げようと思っても、もちろん鹿児島という大変保守的な風土でもありましたが、やはり増元るみ子さんを北朝鮮に拉致をされてしまったのかもしれない。そう思いながらも、声を大にして訴えていく機会というものは、およそ無かったと伺っております。
 また当時といたしましては、北朝鮮に拉致をされた日本人の救出の運動といったことを、問題提起すること自体が、当時の世論の動向と致しますと少なかったのではないかと思います。そして北朝鮮、朝鮮総聯という勢力の動きといったものが、今とは大きく違っていた時代でもあります。なかなか声を大にして言えなかった時代なのかな、とわたくしなど思います。
 そして歳月が経まして、やはり事実といったものは一つでありますから、一つ一つ事実関係が明らかになり、政府もまた認識を改めていったのでありました。そして北朝鮮との交渉の場面におきましては、やはり北朝鮮に拉致された日本人の救出を、すべてに勝る最優先課題であります。その議題に乗せてもらうために、なぜ私たちが声を挙げなければいけないのか?

  自国民を守らない認定政府

 本末転倒な話といえば、それまでであります。しかしながら今の政府の実態といったもの、今の政府が、例えばブッシュ政権であるとか、またはこれまでの北朝鮮に拉致された自国民の人権を取り戻すために全力で動いていったレバノンの政府であるとか、様々な国の政府とは残念ながら、やはり自国民の保護、そしてまた財産、生命、人権の保護に対する感覚が違うことは、紛れもない事実であります。
 だからこそ、その政府を動かしていかなければいけない。また、私たちとしましては、なぜそのようなことを私たち国民サイドからやらなければいけないのか? 本当に多くの皆様、お怒りになるのは当然であります。

しかしながら拉致被害者認定を、政府にきちんとしていただくこと。そしてまた、北朝鮮との外交交渉の舞台におきまして、的確に、そしてまた迅速に提起をしてもらうことによりまして、一日でも早く、そしてまた本当に親御さん、ご親族の方々、40年、また中には50年も経ている方もおられます。やはりご本人ももちろん、人生におきます多感な時期といったものを、青春期といったものを、北朝鮮におきまして辛い生活を強いられているわけであります。

そしてまた、ご家族の方々、ご親族にとりましては、本当に辛い、30年、40年を過ごしておられるわけでもあります。ご家族の方々の高齢化、本当に切実な問題であります。今現在、女性の方々の方が、平均寿命長いといわれております。しかしながら、もう待てない。100歳、120歳まで生きられる方はそうはいらっしゃいません。
 だからこそ、本当に時間がないと思います。政府に対しまして、国家として、政府としてあるべき動きをしてもらうために、私たちが声を挙げていく意義は大変大きいわけであります。そのために何をしなければならないのか? 世論の喚起、そしてまたこの問題自体をお一人でも多くの方に、認識をしていただく必要があるわけでもあります。

 

  救う会の活動なかりせば

 やはりこれまでの北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会、所謂救う会であります。この救う会が、この問題に関しまして問題提起をしてこなかったのであれば、どういう状況になっていたのであろうかと、わたくし大変そら恐ろしくなるわけであります。救う会ももちろん、当初から本当に小さな所帯から始めていった運動でありました。
 北朝鮮に拉致された日本人の方々が、おられるのではないか? その動きに対しましては、もちろん様々なプレッシャーがかけられていったわけでもあります。北朝鮮本国の意を受けた様々な勢力が、救う会を包囲しようとしていく。様々な動きも多くありました。わたくしもそういった動きを目の当たりにするにあたりまして、やはりどれだけ北朝鮮、朝鮮総聯といったものが、救う会を初めと致しました北朝鮮に拉致された日本人の人権を取り戻そうという動きに対しまして、警戒をしていたのかなあと、わたくしもよく実感を致しました。
 しかしながらやはり、事実は一つでございます(断乎たる口調)。救う会がこれまでにも一つ、一つ解明をしてきた問題、そしてまた政府に対しまして働きかけをしてきた問題、歳月は長くかかりました。そしてまた労力も多く費やしてきたわけでもあります。
 が、ようやく平成の時代にはなりましたが、国会におきましてもそれこそ当時の梶山静六官房長官の答弁、そしてまたその後国会議員も、やはり我が国の国会議員として、果たすべき当然な役割といったものを、ようやく動きといたしまして、所謂政府に対しましての質問趣意書を初めといたしましても、予算委員会におきましての質疑、そしてそれに対しましての国家公安委員長、様々な政府機関が、拉致の認定といったもの、そしてまた北朝鮮による拉致といったものが、どれだけ恐ろしいものであるかということを、これまでわかっていた人たちも声を出し、はっきりとは言えなかった時代といったもの、長きに渡りまして続いていたわけでもあります。

  変わりゆく国の動き ― 60年周期説

 しかしながらやはり、我が国も、国民の、自国の国民の人権を、また生命と安全を守るのは、政府にとりまして最優先な課題であります。よくいわれることでありますが、60年周期といった言葉があります。ちょうど戦争が終りまして60年経過をするわけでもありますが、その60年ごとに我が国におきましては、それこそ国の動きといったものが、大きく変わっていく周期というものがあるといわれております。
 これまで、確かに戦前の悪い部分といったものが、多くクローズアップされてまいりまして、戦前というものは、すべて悪かった、確かにそういう位置付けが多くありました。しかしながらその結果といたしまして、国家としてあるべきこと、政府として果たすべきことといったものが、蔑ろにされてしまう。それはやはりおかしいのではないか? ということが、60年周期で、周期によるものではないと思いますが、やはり国家としてあるべき方向に進みつつあるのではないかと思います。
 しかしながら先だってのNHKの問題もありましたが、やはり北朝鮮拉致問題におきまして、あるべき政府の道筋といったものを、的確に示そうとする国会議員の安倍晋三幹事長代理であるとか、中川昭一経済産業大臣ですね、ああいった方々に対しては、それこそ我が国を貶めようとする勢力といったもの、闇の世界では見事に連携しております。
 そういった勢力が追い落としを図ろうとする、もちろんそれだけ焦っている証拠ではありますが、やはり今のこれだけ北朝鮮の拉致問題といったものが、はっきりと明らかになった今の世の中でさえも、さらに危機感を感じながら、この問題に対しまして足を引っ張ろうという勢力が、たくさんあるわけでもあります。

  国民世論の声で拉致事件の真相解明を

これ以上北朝鮮の拉致問題といったものを、その事実が解明されてしまっては困る人たちが、我が国の内外にたくさんいるわけであります。やはりそういった方々に対しまして、国民世論の声といったものが、きちんと勝利していかなければいけないわけでもあります。これ以上、闇の中に葬られるわけにはまいりません。そのためには私たちが、声を大にしていくこと、とても大きな役割ではないかと思います。
 世論を形成していくために、私たち自身が声を大にしていくこと、それは様々な、私たちにできることはいっぱいあります。例えば、お家に帰られてご家族で今日こういう集会があって、参加してきました、と。または、今日駅でこういうチラシをもらいました、と。千葉県からも、海上郡の海上町からも、北朝鮮に拉致された疑いのある加瀬テル子さんという方がいらっしゃるんだということを、この事実といったことを、私たちが知るということから、すべてが始まっていくわけでもあります。
 そうした中、わたくしも大変驚くわけでありますが、やはり大人といった方々、これまでそれこそあたかも他人事であるかのような大人が多くいるわけでもあります。しかしながら、若い方々、中学生、高校生の方々、本当に多くの方々、市原市内におきましてもそうであります。
 古川了子さん、昭和48年に千葉駅での連絡を最後に、行方がわからなくなってしまった。この事実をご存じない方々の方が、これまでは多かったのかもしれません。しかしながら、市原市内を初めと致しまして本当に多くの方々が、同じ市原市におきまして、同じ千葉県におきまして、古川さんという北朝鮮に拉致された人がいるというその事実を知って、これは本当に許せない。そしてこんなことがあってはいけない。率直なお気持ちを皆さんお持ちになられました。
 そしてそれぞれの方々が、じゃあどうすれば古川さんの人権を一日も早く取り戻すことができるのか? 皆さん、お考えになることでもあります。そして署名活動、拉致された古川さんを特定失踪者ではなくて、拉致被害者として政府に認定をしてもらう。そして外交交渉の場におきまして、あるべき交渉の議題にしてもらう。その唯一の目的のために、署名活動展開させていったわけであります。

   14万8千人もの署名の重み

 これはもちろん、古川さんのご親族の皆様、そしてまた高校のお友だちの方々を初めといたしまして、本当に多くのお仲間の方々、そしてまたこんなことがあってはいけない、そしてまた古川さんと机を並べていた、または同じ電車に乗っていたいろんな皆様が、本当にお力を合わせて、この署名運動くり広げていたわけであります。
 14万8千人もの、本当に多くの方々が、やはりこんなことがあってはいけない。そしてまた北朝鮮に拉致された古川了子さんを、1日も早く取り戻していただくためにも政府に対しまして、私たちの声を届けていかなくてはいけない。その思いで皆さんが、一筆、一筆署名をしてくださったわけでもあります。
 その筆跡の中には、もちろんお父さん、お母さんが、小さい子供さんの名前を代筆をされている(注:選挙と違い、署名は未成年や外国籍でも有効)。もちろんご本人の諒解を得た上で、小さい子供の字ではなくてお父さん、お母さんが、代わりに子供さんの名を書いたんだと思いますが、小さなお子さんの名前と思われる名前もあります。そしてまた中学生くらいの子供さんでしょうか、本当にたどたどしいような字で、一筆、一筆お書きになっている方もおられます。
 内閣府に提出されましたこの署名、本当に政府に対しましてプレッシャーという言葉は、不適切かもしれませんが、政府に対しまして、自分(政府)たちの不作為に対しまして、私たち世論は許さないのだということを、はっきりと示すことができたのではないかと思います。
 そしてどれだけ重大な問題であるかということを、改めて内閣府、内閣府というのは、まさに政府であります。首相官邸に直結している他の省庁の、いわば頂点にある政府直属の機関が内閣府でありますから、これは小泉首相に直接話をしたのと同じわけではありますが、どれだけ重要なことが起きているのか? そしてまた、政府としてなすべきことを為してこなかったということを、改めて知らしめる機会になったかと思います。

  千葉県における拉致工作活動の闇

 本日、加瀬テル子さんを救う千葉集会、やはり千葉県内、ほんとうにこの千葉県内におきまして、昭和40年代、今から40年近く前になります。どういった人たちが蠢いていること、そしてまた誰がどこで、誰の意を受けて工作活動を行っていたか?
 おそらくその当時から、きちんと警察機関、様々な治安機関がその動きを把握していたのかと思います。しかしながら、例えば目の前で犯罪行為が行われていても、現行犯で逮捕することができなかった。または仮に逮捕したとしても、その後の世論の反応といったものが、どうなるかといったことを、もちろん一線の警察官も危惧をするわけであります。
 私たちの世論の声といったもの、もちろん政府にとりましても、そして様々な治安機関にとりましても、やはり私たち県民世論、国民世論が常に応援をしているということ、それがとても大きな援護になっていくわけであります。
 もちろん、先日も特定失踪者問題調査会の方で発表もいたしましたが、市原市におきまして当時17歳の関谷俊子さん、北朝鮮に拉致された疑いが極めて高い方がいらっしゃるわけでございます。そしてまた様々なご事情によりまして、またはご家庭の中で様々なご事情もありまして、はっきりとは申し上げられない方々もいらっしゃいますが、この千葉県内におきまして、今千葉県には600万の県民がいます。



  まずは真実を知ることから

 しかしながら、当時、昭和40年代当時、千葉県は本当にのどかな県でありました。そののどかな県の山間部におきまして、または海辺におきまして何が起きていたのかということ、これを知ることからまずは初めていこうではありませんか。そしてまた、加瀬テル子さんを初めとした方々が、北朝鮮に拉致をされていたこの事実を、私たちは今日この場で真鍋理事のほうから、そしてまた仲條さんのほうからも克明にご説明があるかと思います。
 私たちが、今日この場で意識を共有できたこと、その思いといったものを、ぜひ今夜から、今すぐぜひお家の方に、皆さんにお話しいただく。そしてまたいろんなインターネットを活用して発信される。私たちにできることからどんどん始めていこうではありませんか。
 そしてまた、国民世論の声といったもので、政府を動かしていくこと。やはりまず政府を動かしていかなければいけない。そして私たちも、こういう重大な事実があるということを、知った以上は、これまでの政府のように不作為であってはいけないわけであります。

 私たちもその現実を認識をした以上は、私たちにできる形で情報発信を行っていこうではありませんか!またはアクションを起こしていこうではありませんか!

 
  越えなければいけないハードル

 そのためにはまず第一の、まずはこれから越えなければいけないハードルがたくさんあります。もちろん北朝鮮に対しまして、拉致問題の解決、これは最大にして最終の越えなければいけないハードルであります。その前の段階におきまして、私たちがまずは越えなければいけないハードル、それは政府に対しまして特定失踪者の方々は拉致被害者であるという、この政府の認定をきちんと政府に対しまして求めていくこと。
 そして政府が、これから北朝鮮と交渉を行っていくにあたりまして、加瀬テル子さん、古川了子さんを初めとした千葉県内を初めとした全国から北朝鮮に拉致された日本人の方々の人権を取り戻すことなしには、北朝鮮との援助といったもの、北朝鮮とのこれまで通りの様々な便宜の供与といったものもありえない。
 要は経済制裁を断乎行っていくという姿勢を政府に対して、私たち国民世論の声として発信をしていくことによりまして、私たちの意を受けた形で、政府が北朝鮮に対して毅然たる態度で接すること、そして北朝鮮に拉致された日本人の方々の一日も早い帰国の実現へ、すべてその帰結点、その帰結点に到るまでの道筋といったもの、これだけはっきりとしているわけであります。
 しかしながら、なぜそれができないのか? もちろん様々ないろんな話は聞きます。もちろん、我が国におきましても、この千葉県におきましても、北朝鮮や朝鮮総聯の思うがままに動かされている勢力がたくさんいるわけであります。

  はびこる北朝鮮のスポークスマン

 わたくしは船橋でありますが、船橋にもそういう方々たくさんいます。がんじがらめで、もう見事なまでに北朝鮮、または朝鮮総聯のスポークスマンとして、拉致被害者の方々の人権がこれだけ侵害されていても、平然としていられるような許しがたい人間たちが、この千葉市内にもいっぱいいます。しかしながら、そんな連中の意向といったもの、これからますます私たち国民世論の声で、打倒していかなければいけないわけであります。
 また、北朝鮮の政府が、我が国を囲い込んでいく。外堀を埋めてきた。これまではいろんなやり方がありました。北朝鮮のエージェントのような国会議員、実力者もたくさんいました。そういった人たちが、これまでは我が国の自民党政府を初めとした、戦後政治を牛耳ってきたわけではありますが、そうではなくて、私たち国民世論の声といったものが、これからの我が国の政治を決めていくわけでもあります。
 そして北朝鮮に対しまして、交渉のテーブルに着くように、そして加瀬テル子さん、古川了子さんを初めとした拉致被害者の一日も早い帰国がなければ、交渉自体がありえないということを、はっきりと示していくために、そのための前段階と致しまして、政府に対して北朝鮮に対して毅然たる交渉を求めていく上でも、その議題の中に、加瀬テル子さん、古川了子さんの一日でも早い人権の回復を、きちんと明記をさせるために、そのためにまずは、政府に対して拉致被害者認定を求めていくことが、越えなければいけない第一のハードルであります。

  声を挙げよう! できることを行おう!

 そのために、私たちは声を挙げていこうではありませんか! 私たちにできることはいっぱいあります。
できることはすべて行っていこうではありませんか!
 わたくしの持ち時間40分ではありますが、もう一言だけ、申し上げさせていただきます。これまでは、北朝鮮の拉致問題、私たちはサイレント・マジョリティーだったわけであります。私たちの思いといったもの、あまり発言してこなかった。行動に起こしてこなかった。それは即ち政府にとりましては、やはり国民世論の動向といったものは今どうなのか? ということを政府も、もちろん北朝鮮もウォッチをしているわけであります。
 だからこそ、私たち国民世論の意向といったものは、これはもちろん政府だって無視はできないわけであります。そしてまた政府の中におきましても、拉致被害者認定を行うにあたりまして、様々な障壁があります。だからこそ、その障壁を政府に乗り越えさせるためにも、私たちの声で、今後も引き続いて政府を動かして参りましょう!
 是非とも今日ご参加いただいた皆様にも、さらなるご活動をお願い申し上げまして、わたくし、中村の基調とさせていただきます。本日まだこの後、時間が詰まっておりますので、あまり長引くわけにはいきませんが、私たちが気づいたことから、どうか始めていこうではありませんか。時間を若干超過いたしましたが、ご静聴いただきましてありがとうございました。(拍手)

・中村実船橋市議会議員のホームページ
『中村みのる「みのるCLUB」』
http://www5a.biglobe.ne.jp/~minoru-n/

・中村みのるを育てる会
273-0031船橋市西船3-8-28
tel:047-433-4047 fax:433-4024
E-mail:Minoruclub@aol.comi



  .真鍋貞樹特定失踪者問題調査会専務理事の講演

「特定失踪者の多数出ている大町ルートについて」

 どうもみなさんありがとうございます。日曜日の夜お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。仲條さんの冒頭の言葉がありましたけれど、8年前を思い出しました。私たちが、拉致問題をスタートした時の状況は、もう今日のこの、聴衆がわずかしかいない状況でございました。

  .スタートは一人から

 まず何かをやらなきゃいけないということで、何か会を作ろうということで集まったのが、当時で20人くらいでした。それからこれは集まっただけで何か具体的なものがあったわけじゃなくて、具体的なものを始めようとしたのが、とにかく署名活動をやろうと。それから会を作ったことの記者会見をやろうということからスタートしました。
 それで、最初に署名活動をやったのが、有楽町の数寄屋橋の駅前で、10人くらいだったでしょうか、そこでビラ配りをいたしましたが、だ〜れも受け取ってくれませんでした。ビラもどれくらい用意したのかはわかりませんけど、一人として振り向いてくれる人はいませんでした。まあこんなものだろうと思いまして、その後記者会見を行いました。
 その時の記者会見は、集まった記者はたった5人です。今でも誰と、誰と名前を挙げられるわけですけれども、その中で記事を書いてくれたのは産経新聞、それと読売新聞だけでした。産経新聞はご存知の通り、この問題は昔から熱心にやっていましたから、一面のトップに救う会というものができて、これから活動を始めるという記事を書いてくださいましたけど、読売新聞は、小さなベタ記事でようやく、まあ見る人がみればわかるというくらいの記事で、そういうところから運動というのはスタートするものだと思っております。
 拉致問題というものが、大きく国民の関心を呼んでいる問題であるといっても、やはりどんな事例もそうでしょうけれども、やはりスタートというものは、こういう一人か二人からスタートする、数人からスタートする、その積み重ねで大きくなっていく、と思っていますから、今日はこういう状況でまずは第一歩が進んだということで、これから頑張っていこうという会に、是非していただければと思っております。
 今日は、前回の市原集会に来られた方が多いので、この間と同じことを話してもいけませんが、中にはいらっしゃっていない方もおられるようです。ですから、前回と同じだなあと思うところがあってもごめんなさいということでご諒承いただければと思います。
 ただ今日は、加瀬テル子さんの会ですから、加瀬テル子さんのことについて詳しくお話をさせていただきたいと思っております。

  .加瀬テル子さん失踪の状況

 加瀬さんにつきましては、もうテレビや新聞等々でご案内とはいえども、私たちもなかなか新聞に書いてほしいとか、訴えていることがいっぱいあるんですけれども、どうしても割愛されてしまいます。ですから今日はその辺の割愛されている部分をお話しさせていただきます。
 加瀬さんの失踪の経過につきましては、皆さんにお配りしたお手元の資料に書かれている通りなのですけれども、こういう状況で失踪ということですから、自殺とか家出とか考えられない失踪だったわけです。それが昭和37年4月以降まったく音信がないということで、まさに神隠しという状況で失踪されたわけであります。

  拉致に最適な環境

 地元の方はご存知と思いますが、海上町(うなかみちょう)の町の中、今はずいぶん変わっているようですけれども、当時は非常に道が狭くて両側にこんもりした屋敷森というのですか、そういうのが迫っていて、一旦そこに入ると迷子になってしまうような、アニメ映画「となりのトトロ」の中で主人公メイちゃんがお姉ちゃんとはぐれるシーンがあるのをご存知ですね、ちょうどああいう風景が、当時の海上町だったのですね。
 ですから、工作員があの場所に隠れていて、パーマから帰ってきた加瀬さんを待ち伏せしていて、そこで大きな麻袋で加瀬さんを拘束して、そのまま肩に担いで車に乗せて運べば、もう誰も知ることなく拉致ができるという絶好の場所ではあると思っています。
 ただ、誰彼となく待ち伏せして拉致されたというふうには、考えていません。やはりある程度拉致の対象者を選定するということは、必ずあったと思います。そうでないことももちろんあると思いますけど、加瀬さんの場合はやはり狙われていたと思っています。
 その理由はいくつかありますが、それが大町ルートと絡んでくるのですが、当時海上町の周辺では、砂鉄採りと水飴作りというのが盛んに行われていて、加瀬さんのお宅も一部関わっておられました。その水飴作りと砂鉄採りに日本人も従事していたし、当時の在日の人たちもそれに一生懸命従事していたんですね。
 それでご家族の記憶によれば、加瀬さんのお宅にも在日の人たちも出入りをしていたということです。それとこれはまた気になる点ですけれども、加瀬さんの家の周辺に北朝鮮にお嫁さん、所謂日本人妻として行った方がいらっしゃるんです。所謂帰国者という方ですけれども、まあ若い方はご存知ないと思いますが、1960年代から北朝鮮に北送事業というのがあったのです。戦争が終りまして、そして日本にたくさん在日の人がおられたわけですが、その方々を北朝鮮に送る運動というのがあったのですね。その送る運動の中にお一人の女性が、加瀬さんの家の周辺におられたわけであります。
 この北送事業というのが、非常にポイント、拉致問題とも繋がってくる事業なのですね。ここは推測ですけれども、 北送事業の中で2000人ほどの日本人女性が、北朝鮮に渡っています。当然当局の尋問を受けるわけです。どこで何をしていたのか? 友人は何人で何をしているのか? どういう生活環境だったのか? 近くに重要な施設があるのかないのか? といったような尋問を受けるわけです。
 そうした尋問を受けたデータが、これも推測ですけれども、北朝鮮による工作活動の重要な参考情報になったのではないか? その中の一つにこの日本人拉致というのも当然あったわけですから、そこに参考情報として使われたのではないかと思っています。

  拉致被害者の運搬方法

 それでですね、拉致された人をどうやって運ぶかという問題があります。実は、これが解明されているのは一件もありません。帰ってきた5人の拉致被害者の方々も、ご自身がどのように、拘束された場所はわかるのですが、拘束された後すぐに気絶させられたり、袋を被せられたりしていますから、どこでどう拉致されて運ばれていたかというのは、ご本人もわからないわけです。
 唯一例外として曽我ひとみさんが、辛うじて3人の男性に後ろから追いかけられて、突然脇の道に引きずりこまれてお母さん(曽我ミヨシさん)と別れて、舟に運ばれましたということなのですけれども、まだ全容まではわかっていない。では加瀬さんがどうやって運ばれたのかということなのですが、ここに着目したのが大町ルートいうことになるわけです。
 なぜ着目したかというと、先程の水飴と砂鉄が、どのように運ばれていたかということなのですが、当時マツダのオート三輪車が、そういった運搬に使われていたのと同時に、実はちょうど加瀬さんが失踪された頃に「干潟三万石」という記録映画が残っているのです。
 それを見ましたが、ほとんどは参考にはならなかったのですけれども、一部だけ当時の海上町周辺で「たくさん工場があって、水飴製造や砂鉄の採集が大変盛んになっていました」というシーンに、大きなトラックがどんどん走っているシーンがあります。それを見た時に、この長距離トラックが、千葉市を通って東京を経由し、山梨、長野、そして日本海に到って富山方面か、新潟方面に分かれていくという、そういう長距離トラックに荷物として運ばれていけば、これは拉致ルートの運搬としてはあり得るな、というふうに考えたわけであります。
 ただこれは一つの仮説です。もしかしたらということなのですけれども、当時は日本も日本海側の警戒も厳しかったわけですし、北朝鮮側も拉致というものを、当時としては慎重に行っていたと思われますので、もしかしたら逆に太平洋側に寄港してくる北朝鮮の船がありますから、例えば千葉港とか、横浜港、そういった船舶に運んでしまえばそのまま運ばれていきますから、その可能性もなきにしもあらずということです。

  やりたい放題の北朝鮮工作員

 でもこれはまだまだわからないですね。多くの拉致被害者の方々が、どうやって運ばれたかということを類推する一つの方法として、どのように北朝鮮の工作員が入ってきたか? ということになるわけですけれど、これは私たちが考えているよりも、非常に大胆です。
 北朝鮮の工作員にとって、日本に侵入し、上陸するというのは、三度の食事よりも簡単なことだ、と言われているわけです。もし見つかっても、ピストルで撃たれて殺されるということはまずないし、一週間くらい臭い飯を食ったなら「強制送還」されて無事に戻るわけですから、何の心配もなく、北朝鮮の工作員は上陸してきます。コンビニで買い物というか、コンビニは当時ないですけれども、しばしば北海道の現地を調査しますと、海岸ふちのお店に買い物に来る日本語を話せない北朝鮮の人と思われる人が、しばしば来るという場所もあります。
 だからもう別に日本に来て、上陸して工作するというのは、彼らにとっては、ほんとに何の特別なことではない行為だということです。それが使われるのが工作船であったり、万景峰号であったり、あるいは潜水艦であったり、貨物船であったりするということで、あらゆる方法というか、日本にとりあえず接岸するものであれば、何だって利用できるということです。
 極端な時にはですね、何年か前か忘れましたけど、広島に飛行機で来た人もいます。これは亡命ということですけれども、工作員が亡命に広島に飛行機で来たと、まあそういう非常に面白い、といっては問題ですが、それくらい日本という国は、ある意味警戒感、危機感がないという状況が、ここ何十年も続いていたというわけです。その背景の中に、その背景を元に拉致が実行されていったわけですね。

  .加瀬さん関連の重大情報

 加瀬さんに戻りますけれども、加瀬さんにつきましては、私ども特定失踪者問題調査会が、設立当初から重大な情報としてもたらされておりました。それが目撃情報ということです。ここで掲示している写真をもたらした人物とは違う人物です。

  加瀬さんの目撃情報

 その人物から、平壌で加瀬さんらしい女性を何度も見たと、もう一人布施範行さんと思われる男性と一緒に仕事をしていたと。それで加瀬テル子さんについては、千葉の海から来たというふうに言っておられたと。布施範行さんについては、関西訛りの非常におとなしい、身長180pくらいの方でしたという情報がありました。
 これは実は、我々としても俄かに信じがたい情報だったのです。この情報の信憑性を探るために、1年くらいかけて調査をしてきました。その間仲條さんには内緒で、いろいろと調査をしていて申し訳なかったのですが、内容が内容だけに慎重にということで、調査を進めていったわけです。
 そして、その裏取りをした結果、その情報についてはほぼ間違いがないだろうという形で、特定失踪者問題調査会としては、拉致の疑いが濃厚であると認定をしたのです。

  「拉致確定」の決め手の写真-1 〜TBSから〜

 その後、(演壇のボードに貼られた写真の一つを指しながら)この写真というのが、出てきたわけです。我々としても、私も、加瀬さんのこの2枚の写真を見た時に、テレビ局のディレクターの方が「真鍋さん、この写真誰だと思いますか?」ということで見せられたのです。
 私は(加瀬さんの家族から提供されたほうの写真を指して)この写真ばっかりずーっと眺めていましたから、この写真を見せられた時に「わかりません」と。これは加瀬さんのお父さんと一緒です。かつてのお父さんと一緒で「橋本正次東京歯科大助教授によれば、この女性は加瀬さんであると言っておられます」というお話しが来た時に、私は本当に信じられなかったです。
 だけどよくよく橋本先生のお話なりなんなりをお聞きしていくうちに、だんだん目が慣れてくると「ああここが似ている、ここが似ている、ここが一致している」ということで、私自身も納得をしていきました。
 それで橋本先生は細かく分析をされたわけですけれども、一番大切なのは、この写真が本物なのか? からスタートするわけです。藤田進さんの写真の時は、コピーで本物ではないのです。オリジナルの写真じゃなかったものですから、我々としてもちょっと不安がありましたが、加瀬さんについては、完全な本物です。
 大きさは、よく学生証とか免許証に貼る写真とほぼ同じ大きさです。ほんとうに小さな証明写真です。それがそのまま剥がされていて、裏に糊がついています。そして本人の朝鮮名と思われる名前が記入されていました。
 それだけだったら、もしかしたらニセ物じゃないかということになるのですけれども、実はテレビでも放映されましたけど、写真に円弧状に刻印の傷が残っているのです。要するに証明書に貼って押さえる刻印です。
 そして拡大されたこの写真でははっきりはわからないのですが、明確にハングルで書かれています。何が書かれているかはわかりませんが、ハングルであることは間違いない。そういう状況なので、これはもう本物で間違いないだろう、ということになったわけです。
 それから加瀬さんであるということは、やはり橋本助教授も1枚の写真からでは、なかなか判断はできない。普通は断定することはできないわけです。しかし加瀬さんの場合は、決め手がございました。写真の右目下のここに、小さなほくろがあるのです。家族から提供されたこちらの写真にも、同じ場所にほくろがある。
 これはご家族が記憶されている、非常に大きな本人の特徴です。ここがまったく場所と形態が一致しているということで、要するに「まったく矛盾するところがない」どころか、本人の極めて特徴的な場所・形態が一致するということで、この写真については、ほぼ加瀬テル子さんであるということで間違いない、という判断を橋本助教授はなさった。

・加瀬テル子さん失踪関連の報道番組が保存されているサイト
「檀君 WHO's WHO」
http://kamomiya.ddo.jp/index0.html>から
・「拉致問題映像ライブラリー」の
「報道特集『北朝鮮からの流出写真と大町ルート』」
(TBS系で20041017日放映)

  「拉致確定」の決め手の写真-2 〜フジテレビから〜

 そして、別のテレビ局から、こちらの全身像の写真がもたらされたんですけれども、別々に入手されたんですけども、証明写真のこの女性と同一人物であるという情報で、我々にもたらされてきました。全身写真がフジテレビで、証明写真がTBSです。別々の社に一人の人物が売ったわけです。
 問題はこちらの写真です。こちらの写真が加瀬さんであるかどうかというのは、こういう小さな写真ですからわからないのですけれども、加瀬さんのおばさんがこの写真を見た時に「テル子に間違いない!」この立った姿は、お父さんもおばさんも「この立った姿はテル子だ」と仰いました。
 人間の記憶というのは、実は非常に曖昧でやはり全体的な雰囲気というもので記憶されているようですので、この顔写真の1枚では、お父さんが「これはテル子ではない」というくらいに曖昧ですけれども、全身写真で全体の雰囲気を見ると「ああ、これはテル子だ」というふうに、皆さん異口同音に言われたわけです。
 ただしこの全身写真が、本当に北朝鮮で撮られた写真かどうかいう点に、非常に不思議な点が幾つかあります。一つは、このパラソル、日傘ですが、北朝鮮の女性も当然パラソルを差します。
 それでこの辺は矛盾がないのですけれども、問題はこの加瀬さんが履いているパンプスです。ちょっとヒールの高いパンプス、これは北朝鮮の女性は履かない。それから丈が非常に短いパンツを履いています。これも北朝鮮の女性は一般的に履かない。また、この背景の周辺はひまわりみたいなもので、これもどうも北朝鮮かどうかというのははっきりしないのですが、この石畳というのは、北朝鮮でも一般的にある物なんです。
 でも中国にもたくさんあるということなので、北朝鮮で撮られたような、また北朝鮮ではない第三国で撮られた可能性もある写真ということで、まだわかっていません。この決め手のズボンとパンプスが、本当に北朝鮮で撮られたとするならば、少し違和感があるということなのです。
 それでこれは噂でまだはっきりしないのですが、拉致された日本人が、北朝鮮以外の第三国で活動させられているという噂は前からあります。これは古川了子さんもそうなのですが、古川さんのみならず、他のケースもありますが、例えばこういう例があるんです。
 よど号犯の妻の福留貴美子さんがいらっしゃいます。福留さんは、秘密の工作活動の一端として一回日本に帰国をされています。そしてまた北朝鮮に戻されているという例もありますから、拉致した日本人を、東南アジアなどで貿易商社の職員みたいな形で、日本人として働かせる可能性はあるわけです。ただし、貿易会社といってもただの貿易会社じゃないわけです。非常に、非合法的な活動に手をかける、手を出す貿易会社に働かせるということは、当然あり得る、想定できるということです。

 

  なぜ、加瀬さんが拉致されたのか

 まだまだわからないのは、何故加瀬テル子さんなのか? という肝腎の部分ですが、なぜ拉致されたのか? その必要性は何なのかということなのですが、まだこれは、解明されていません。
 古川さんの場合は、考えられるのは拉致された日本人男性の奥さんということになるわけでしょうし、どうも加瀬さんのケースの場合も、ご存知の通り、加瀬さんの夫の存在が重要なわけです。
 加瀬さんの夫とされる男性ですが、この男性の写真については、我々としては公開をしていきたいと思っているのですが、マスコミの所有物なのでなかなか出せないのです。この人も拉致された日本人であって、日本の国立大学の理工系を卒業したエリートだそうです。そしてこの人と加瀬さんが夫婦であると、そしてこの男性が、拉致された日本人を管理している責任者で、そういう役回りをさせられている、ということなのです。
 そう考えると、やはりこれはわからないです。どちらが先に拉致されたのかということは、こちらのデータがないですからわからないのですが、そうだとすると、加瀬さんもお嫁さんという形で選定されていたと考えられるわけであります。

  .千葉県のおける特定失踪者の状況

 そして加瀬さんについてはこれくらいにしまして、加瀬さんを中心に千葉ということなのですが、大町ルートについては、ちょっと置いておきまして、この栄町と院内という場所ですね、私、来る前にその辺を少し見てきたのですが、とんでもない風俗産業が多い歓楽街ですね。

実は、さっきお名前が出ましたけれど、関谷俊子さん、この間記者会見をして発表した女性が、関谷俊子さんプラス女性プラス男性、この3人がここの場所で失踪しているのです。

-------------------------------------------------------------------------------
  <参考資料>
 [特定失踪者問題調査会NEWS 264](17.6.27着信分から抜粋

関谷 俊子(せきや としこ)(当時17)

生年月日  ・昭和321957)年519
失踪年月日 ・昭和49(1974)711
性別 女
当時の身分 ・千葉市内の薬品会社に勤務 定時制高校在学中
当時の居住 ・千葉県市原市
失踪場所  ・千葉港付近
失踪当時の状況 ・親類の男性と幼馴染の同級生(女性)と千葉市内の飲食店で飲食後、親類の男性が「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。店の従業員は男性の兄と妹。男性の乗っていた車も発見されていない。関谷俊子さんは古川了子さんと同じ高校で3学年下。古川事件の1年後の失踪で同じ7月である。
-------------------------------------------------------------------------------

 地名を具体的にいうと院内です。この3人で一緒に、この男性の妹さんとお兄さんが働いていた院内のスナックで食事をした後、この男性が車で関谷俊子さんと女性を家まで送っていくと言い残して家を出たまま失踪しました。古川了子さんの事件のちょうど1年後(昭和49年)です。
 この関谷さんとこの女性は、小学校からの幼なじみで、古川了子さんと同じ千葉商業高校です。そして千葉商業高校はすぐそこにありまして、院内と栄町に非常に近い。関係者のお話によると、当時朝鮮高校の人たちと相当ケンカをしていたと言うことで、どうも古川了子さんも千葉商、この二人の女性も千葉商、そういう形でしかもこの3人は千葉駅の周辺の院内ですし、古川了子さんも千葉駅ということですから、同じような場所。それからこの女性が働いていたのは、古川了子さんが会社に通う途中の八幡宿(やわたじゅく)のルート上で働いていました。
 どうも古川了子さんと二人の女性というのは、非常に近い関係にあるというのは不思議でなりません。そして関谷さんとこの女性も市原の生まれ育ちということです。非常にこの3人の失踪というのは、関心をもって調査しているというわけです。
 ただやはり一般的な失踪もそうですが、どうしても千葉でいうと、この院内、栄町という歓楽街といいますか、そこを中心として事件が起こると、例えば札幌でいうと、所謂ススキノという場所で関係した失踪が非常に多いのですね。
 やはり、そういう歓楽街というのは多国籍ですから、いろんな国の国籍の人が活動している、どうしてもそこに失踪というか拉致とかいうものとの繋がりがあるのではないか? ご存知のように田口八重子さんの勤務先は、池袋の駅前の、ほんとに歓楽街のど真ん中だったわけですから、どうもこういう拉致、失踪、それからそういう地域というのは結びつくなと思っています。

  .何もしない日本政府

 そういう状況での今後の対応ですが、なぜ加瀬テル子さんがこういう状況になっても政府は何もしないのか? ですね。なぜ拉致認定しないのかという以前になぜ何もしないのかです。認定以前の問題なのです。
 警察、千葉県警の方では、捜査をしているようですけれども、事件はもう40年も前の事件ですから、やりようがないというようなことを言っているようですが、こういう写真が出てきても、なお依然として何もしない。これは千葉県警の責任ではなく、もっと上のレベルの話しだと思うのです。
 拉致認定をしない理由は、この間も少しお話ししましたが、加瀬テル子さんが日本から出た証拠がない、これは私が聞いたのですけれども。どう考えたって、加瀬テル子さんと同一人物の写真が、北朝鮮から脱北した人間が持ってきた事実と、それからハングルで書かれた刻印が捺されているということであれば、日本以外であるという明確な証拠であるにも関わらず、加瀬テル子さんが日本国外に出たという証拠がないから拉致認定しませんというのです。
 これはもう、拉致認定したくないとを言っているようなものです。では、なぜ拉致認定したくないのかということなのですが、この間の古川さんもまったく同じだし、松本京子さんも同じだし、これはもう戦線拡大をしたくないから、言葉は悪いけれどこれ以上煩わしいことはやめたい、ということの現われだと思われます。
 これは警察というよりも、日本の政府の中枢の判断だと思っています。警察は、政府中枢の命令があれば、指令があれば、ぱっと動くわけです。現場の警察官の皆さんは、もう忸怩たる思いをいっぱいしているわけです。工作員を捕まえてもすぐに逃がしたり、拉致の犯人を捕まえてもすぐに逃がしたり、立件する寸前になったのに、政治的圧力がかかってもう止めろと言われたり、その苦渋を嘗めてきて日本の警察も学習していますから、下手に動くと内閣の中枢から圧力がかかってくるというのは重々承知していますから、警察がこういう判断をしているとは思っていません。かなり権力の中枢が、この特定失踪者の問題を触れるな、やるなという判断がされているからに他ならないと思っています。

  何故拉致認定しないのか

 それが何故なのか? ということですね。要するに小泉さんが、何故そういうふうに経済制裁はともかくとして、特定失踪者の問題に非常に消極的な姿勢を取っているかということは、これはもう小泉さん自ら語っていませんのでね、我々の類推するところ二つ考えられます。
 一つは中国への遠慮、もう一つは、これはわからないんですけどアメリカからの圧力です。このアメリカからの圧力というのは、二通りの意味がありまして、今米朝関係、いろいろゴチャゴチャやっていますね、その動きというものを待っていた、というようなことですね。アメリカとしても、人権問題について関心があるけれども、あまり北朝鮮を刺激したくないという配慮も当然あるだろうと思います。
 もう一つ考えられるのは、アメリカが本気になるかもしれないということです。これは矛盾するのですけれども、アメリカが本気になってイラクとかアフガンの問題が落ち着いたとするならば、北朝鮮に対して本気になるかもしれない。そういうところまで待て、というようなことがあるのかもしれません。
 だから、二通りの矛盾した想定が成り立つのです。我々としては、どっちでもいいから早く救出してくれということなのですけれども、もう少し時期を待てということになっているのかもしれません。
 とはいっても、ご家族の思いというものは、一刻も早くということですから、我々としてはそういう悠長なことは言っていられませんから、次なるステップを踏んでいかなければいけない。これがまあ古川さんの拉致認定訴訟ということになりますね。
 我々としては、古川さんが一つの代表選手という位置付けにしてはいるわけですけれども、場合によっては、古川さんの事件と連合裁判というんですかね、ちょっと法律用語はわかりませんけれども、二つ、三つの事件を一緒になって拉致認定を求めていく、というようなことも考えています。
 これは古川裁判の様子を見ながら、複数の、多くの事件で認定訴訟を求めたほうが、古川事件を含めて有利に働くのかどうかを見極めた上で、場合によっては、次なる認定訴訟を考えてみたいとに思っています。
 裁判は勝ち負けの世界ですから、勝てるという見込みに立った上での戦術を取っていきたい。その中で当然、加瀬テル子さんということも考えられるし、松本京子さんということも考えられるということです。

  .帰国した拉致被害者による情報の扱い

 それから、中村さんも触れていますが、帰国された5人と我々との接触です。帰ってこられた5人は情報の宝庫です。もしかしたら古川さんを見ているかもしれない、加瀬さんを見ているかもしれない。少なくともこの情報が本当だったら、加瀬さんの夫で、日本人拉致被害者の管理役とされる男性は知っているはずです。
 この5人が、この男性を見たといった段階で、もう間違いなく加瀬さんは拉致認定せざるを得なくなるわけです。(会場から「その写真の方は、日本人ということで確認をされているわけですか? 調べられているんですか?」の問いに)その男性が誰かということは、残念ながら我々のデータにはまだないのです。私もその男性を探しているんですけど、日本国内にいる失踪者の内の誰かとは思うのですがまだわからない。ついでにこの間もお話ししましたけれども、国井さんです。
 この国井えり子さんという網走で失踪した方と同じ場所で写った写真、そしてこの男性と加瀬テル子さんは夫婦である。それでKなる人物は、加瀬さんと藤田進さんの二人を運んだとされている。そういう相関関係からすると、帰国した5人の内誰かでも、どなたでもいいからこの人物を見たとなったら、ワン、ツー、スリー、フォーという形で、もう間違いなく拉致認定しなきゃいけない存在になるわけであります。
 そこで、我々としては、5人の方々に証言してくださいというお願いを再三しています。再三していますし、向こうからそれとなく意向が伝えられたことがありましたけれども、ちょっと我々としては、この問題は慎重にしなければいけないと思っています。
 信頼しないということではないんですが、あの5人の立場ということからすると、彼らの本心なり、本音なり、彼らの持っている本当の情報が、隠蔽したり、曲げられたりして我々の所に来る可能性があると思っています。最悪の情報は「他に誰の日本人も見ていません」という情報がもたらされてしまったら、もうそれっきりになる。そういうことにならないように、注意していかなきゃならないと思っております。
 これは地村保志氏のお父さん保氏が、再三、再四言うことですけれども「保志は、すべての情報を日本政府に語っている」と。「だから日本政府が責任をもって情報を開示すべきなんや」と地村保氏は再三、再四言っておられます。
 我々としてもその通りだと思っています。我々として5人を責めるのではなくて、5人がけしからんって間違っても言うんじゃなくて、5人の方々はすべての情報を提供しているわけです。それだったとしたら、日本政府はその情報を握り潰している、隠蔽しているんですね。何の理由かわからないけれど。

  たとえパンドラの箱であろうとも

 知っているんです、知っているのに何も言わない。ご家族にも何も伝えてこない。加瀬さんの所にも、古川さんの所にも、特定失踪者のご家族の所にも何にも言ってこない。
 これは私の憶測なのですが、拉致被害者の5人の方は、もっと、もっと多くのことを知っているはずです。知り得る立場にあったと思います。それが日本政府は知っていながら、いまだに情報を何も開示していないというのは、一体どういうことか? それはもう、また戻りますけれども、特定失踪者の問題をこれ以上大きくしたくないということなのか? もしかしたら、とんでもないパンドラの箱になってしまうのかもしれません。
 我々としては、パンドラの蛇が出てくるのか、何が出てくるのかわからなくても、すべてを開示してほしいと思っているのですけれど、それにご家族が耐えられるかどうか? という問題もあるのですね。だから善意に解釈すれば、日本政府としてもその辺を慮っての行動なのかどうかはわかりません。
 ただやはり私たちは、ご家族とお話し合いをした時は、必ず結論的にはどんな情報でもいいから、とにかく覚悟しておられるということですから、そういうご家族の思いを踏みにじってはいけない、と思っていますから、我々としてはこれから強く、日本政府にこの5人が語った情報を開示せよ、という形で求めていきたいと思っております。

  .加瀬テル子さん救出運動のあり方

 そろそろお時間ですのでまとめたいと思いますけれども、大きな話は中村さんがなされましたので、今後の加瀬さんの運動のあり方なのですけれども、まあ一つには、今日古川さんのお姉さんご夫婦が来られていますので、それから関谷さんというまだまだわからないけどご家族が出ましたから、やっぱり千葉のご家族で、できる限り連携した動きで、進めて行っていきたいなと思っております。
 やはり、お一人、お一人のご家族だとしんどい場面もあると思いますので、できれば横の連絡をしてまとまって何かを進めていかれるというのが、まとまるとまた難しいこともあるんですが、こういう集会という時には、やはりまとまっていかれる方が、より効果的になるかもしれません。
 加瀬さんの場合には、単独で活動をなされる場合は地元という感じで、それも百人とか二百人というイメージは捨てられた方がいいと思います。10人、20人という小さな集会をもういくつも、丹念に、丹念にやっていくというイメージからスタートされた方がよろしいかな、と思います。
 その中で、まずはご家族が団結される、ご家族が団結しない限り、この運動は絶対に進まない。これはもう拉致問題の宿命みたいなものです。いい例が石岡さん、それから福留貴美子さん、ご家族にいろいろな事情があって、ご家族が表に出られない。結局運動も進まない、という状況があるのは、これは共通していますので。仲條さんの方にお願いするのは、やはりご家族でまとまって、できればこういう集会をやる時には、おばさんが交代、交代で訴えられるという状況を作っていただきたい。
 そういうことを積み重ねていく内に、地元ですとか、友人、知人という方たちが入ってきて、そこを我々第三者というか、支援する皆さんにお手伝いいただくというイメージで、ぜひ進めていっていただければなあ、と思っています。
 で、最初に戻りますけれども、こういう活動は、どんなに問題が大きくても最初は一人から、やっぱり数人からという宿命もあると思います。ただやっている内に、理解が深まるし、支援してくださる方も増えてくると思いますので、今日をスタートという形で、また一緒に皆さんと共にこの問題の解決に私も努力していきたいと思いますので、本当にご家族の皆さん大変でしょうけれども、ご努力をお願いしたい。
 それからスタッフの皆さんにも、今日おいでになった皆さんにも、今日は最後になりましたけれども、亜細亜人権協議会の皆さんにご尽力いただいたことを、心からお礼を申し上げまして、お話しを終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

 

質疑応答

 Q1.会場参加者(仮称Q氏)ブッシュ・姜哲煥会談の意義
 一つ伺いたい。先程アメリカが本気になるかもしれない、と言っておられましたけど、つい最近、ブッシュ大統領が姜哲煥(カン・チョルファン)さんとお会いになりましたけど、そのことをどう思いますか?人道的観点から見て・・・。

 A1.真鍋理事の回答 北朝鮮への強力なメッセージ だ!
 よくご存知のとおりですね。なぜ姜哲煥に会ったかということです。今、6カ国協議が始まるか、始まらないかの時に、脱北者のシンボルにわざわざブッシュ大統領が40分くらい、直前の盧武鉉大統領とは45分の会談なので、それとほぼ同じ時間の、だから異例なのですね。これは、もう北朝鮮に対する非常に強いメッセージだというふうに認識しています。


 Q2.原 良一(投稿入力者) 帰国した拉致被害者との信頼関係の構築は?
 先程、戻ってきた拉致被害者との関係がなかなか上手くいってないって話が出ていて、その関連の質問です。私は蓮池透さんの「奪還2」(新潮社)を読んだのですが、その中で明らかに調査会に不信感を滲ませた記述があるわけなんです。
 そして逆に、安明進さんの「新証言・拉致」(廣済堂出版)も読んだのですが、そちらでも蓮池さんが本当のことを話していない、と書いている。一例として、安さんと蓮池薫さんが電話で話したことを、後で透さんが伏せてくれと言ってきたとある。
 結局それは、ある部分程度安さんの怒りもあって、本の中で暴露しちゃってるわけなんですけど、暴露したということは、逆にいえば蓮池家にとっても、感情を悪くする危険が高いと思うんですけど、そういう中で、拉致被害者とは、どうやって信頼関係を作っているんでしょうか?

 A2.真鍋氏 多すぎる「門番」、聞こえない本音
 残念ながら、基本的に5人の本音が聞けないんです。というのは、5人には「門番」がたくさんいましてね。まあマスコミの注目度も非常に高いので、どうしても門番が囲ってしまうという状況があって、その門番を通じてでしか5人の発言が聞こえてこないわけです。
 じゃあ門番は誰か? 蓮池薫さんにとっての門番は透さんですよね、それからまあお母さんのハツイ氏です。それと内閣の拉致被害者支援室です。
 どうもそこらへんを通して、いろいろ行ったり来たりをするものですから、ほんとに蓮池薫さんが何を思っているのか? 何を言いたいのか? 言いたくないのか? がはっきり伝わってこない。我々も想像するしかない。これは非常に悪い状況ですね。
 だから横田拓也家族会事務局次長などは、前から5人がすべて自分の口で言わなきゃいけない、と。自分の口で明らかにしないといけないと。よく言われるのは、やはり情報というのは、スクリーンを通ったり、本人以外の別の口を通ったりするとですね、捻じ曲げられちゃうじゃないですか。本人の意思と違うことになっちゃうじゃないですか。おそらくあの5人にとっても、決して良くないことだ、と私たちは思っています。
 しかしながら、これが地村保さんがよく言うように、あの5人が自らすべてを証言したら、あの5人殺されてしまう、と。日本には300人から400人の北朝鮮の工作員が、まだいるわけですから。喋ったら、ただじゃ置かないぞ、ってことになっているわけですから
 もしあの5人が喋ったり、誰かが喋ったら、当然狙われる、ということになっていますから、それを敢えて強調してですね、我々が喋れというのは、貴方の命を守るから喋ってくださいということです。
 じゃあ我々が、彼らの生命を24時間守ってあげられるかどうか? そんな無責任なことは言えないし、やれないわけですね。だとすると、やはり彼らの口から直接言えないけれども、彼らが言った内容を、きちっと説明できる、あるいは説明すべき責任は、誰にあるかというと、日本政府ですね。日本政府は、その辺をきちっと責任を持って情報を開示する。5人の生命は責任を持って守るということがない限り、あの5人も安心して語れることはないんじゃないでしょうかね。

 Q3.Q氏 小泉・安明進会談を突破口に
 今の質問の関連なんですが、さっき姜哲煥がブッシュと会ったといったんですけど、先程の安明進さんのめぐみちゃん拉致に関する証言というのは、昔はちょっと眉唾かなということでね、言われていましたけど、今や拉致問題というのは、金正日が謝ったようにですね、きちっと認められて、どうもあの証言は、間違いないんじゃないか、ということに言っているようですから、小泉さんもですね、安明進さんの話聞いたらどうですかね。
 で、これを聞けばですね、今言った5人も言い始めませんかねぇ? つまり姿勢なんですよね。だから日本の首相が本気だぞ、と。ブッシュと同じようにですね、やるぞと見せればね、5人は言い始めるんじゃないですかねえ。

 A3.真鍋氏 ブッシュ・横田家会談を企画中
 もうそれはですね、安明進とは我々はしょっちゅう議論しているし、彼はそれを望んでいると
(Q氏:小泉さんがその気にならないといかんですね)そうです。
(Q氏:だから救う会が、プッシュしないといけないんですよ)
 これがですねえ、(Q氏:大変だとは思うけど)小泉君はですね、もう一切会おうとしないし、会っても一切何も言おうとしないんですね。
(Q氏:だからブッシュさんから手を回せばいいんじゃないですか? ブッシュだったら言うこと聞くから)
 ハハハ(笑)、「実は」てのが、あります。もし上手くいけば、ブッシュと横田さんが直接会う可能性があります。もしそうなったとしたら、小泉さんメンツ丸潰れです。これは今・・・
(Q氏:メンツ潰れてもいいからさ、拉致問題解決しろって)そういうことですね。

 Q4.Q氏  6カ国協議から離脱すべし
 それともう一つはですね、何というか、これはお願いになっちゃうんですけど、古川了子さんの講演の時に、増元照明さんが、こういうこと言いましたよね、私、非常に印象的だったんですけど、あの〜6カ国協議から日本は抜けるべきだという話をしましてですね、
(真鍋氏:ちょっと私記憶にないですけど)、
(原:いや、言っていましたよ、そういうふうに。そうやって恫喝したほうがいいということなんですね。結局日本の金が頼りなんだから、日本が6カ国から抜ければ実質機能しなくなりますから)

-------------------------------------------------------------------------------
  <参考資料>
 「古川了子さんを救う市原集会」での増元照明氏の発言の該当部分(記録者ぴろん様)

 即ち6者協議の中で他の全ての国が、日本の金を当てにして6者協議で核合意をしようとしているんです。
 そこに日本が入らないよと言ったら、他の国が慌てるんですよね。だから、慌てるから日本の言うとおり、じゃあ拉致問題も少し入れようか、というそういう動きになって当然だと思うんですが、それさえも今の日本政府はしようとしていない。
 今6者協議優先で拉致問題を取り上げようとしていない。実際本当に拉致被害者を救出する気があるのか? と。私はその辺が非常に腹立たしい思いで言ってるんです。
-------------------------------------------------------------------------------

 Q氏
 これはですね、味のある話なんですね、よく考えてみると。6カ国協議に日本が入っているのは、さっき言いましたように、要するに日本の支援は、お金出せということでしょう。だから他の5カ国は入れているんですよ、北朝鮮のために。
 だったらね、もうやめたって、抜けるべきじゃあ、これをやっぱり政府に言わなきゃいけないんじゃないかなあ、救う会が、政府に言うべきですよ、こうなったらね。そうすればね、我々の声というのもやっぱり、国民の声はそれなりに見ていますよ、ただ、誰も口に出して言わないからね。
 このことはぜひですね、救う会で採り上げていただいて、そういう声があるんだ、増元さんの言ってること、主張をぜひ採り上げていただきたいと、言ってやったらどうですかね。
 そしたら、もし日本が抜けたらね、6カ国協議の計画がなくなることなんてないですよ。抜ければね、向こうは真剣に考える。

 A4.真鍋氏
 あー、すいません。前提として、私たち特定失踪者問題調査会なもんで、救う会幹事は中村さん(笑)なんでどうぞ、
 .中村氏 救う会に報告し、会議の議題に提起したい
 じゃ、ちょっと替わります。仰る意味私もよくわかりますので、その6カ国協議、ちょっと私その増元さんの話、聞き落としていたんですが、
(Q氏:増元さんも救う会の理事ですからね、同じ仲間ですから、ちゃんと聞いてください。そうすればわかると思いますから)
 では、その6カ国協議、増元さんが仰ったという話の意義は、私もよ〜くわかりますので、北朝鮮に対しての話の持っていき方の中で、ご指摘の方法論といったものも、大変私個人的にいうとすごく有効だと思いますので、またそういう方向性を政府に対して求めていくべきかどうか、また救う会の中で、協議をする必要もあると思いますので、それはもう、救う会の中で、佐藤会長を初めとした関係のところにこういうご指摘がありましたということで、きちんと報告させていただきます。
(Q氏:ぜひお願いします)わかりました。

 A真鍋氏
じゃあそんなところで、(Q氏:すいませんでした)はい、ありがとうございました。

 司会者
 真鍋さん、ありがとうございました。
続きまして、当会代表、仲條富夫からお願いいたします。

  .仲條富夫加瀬テル子を支援する会代表、加瀬テル子従兄弟の発言
   「加瀬テル子の家族の訴え」

 どうもいろいろとありがとうございました。
 先程ちょっとだけ言わせてもらいます。警察の方ですけれど、なんか私の聞いた情報では、先に拉致認定をして、もしそれが拉致認定じゃなくて国内などで見つかった場合に、本部長さんのところで、バツ(×)が一点ついてしまうということです。
 だからキャリア組、千葉県警の山浦本部長さんは、キャリア組ではないと言ったら叱られますけど、そういうような感じで、キャリアの方はなかなか認めないと。認めなくて拉致がありましたよと、まあ曽我さんのようになった場合は、何のお咎めもないというような、申し入れじゃないですけど暗黙の諒解があるんで、なかなか県警単位では、何というのかな、拉致をパッと認めたがらない、というのが実情のように聞いております。
 正直のところ自分の方、多分関谷さんの所もそうですけど、こういうことがありました。特定失踪者になりましたよと言った時点で、公安調査庁なり、県警なりと本当に毎日のように来ます。
 写真の方も出て、正直なところ証拠写真ですからうまく写っているのを提出して、少しでも私ども家族としては、拉致認定がほしいですからさしあげたのです。けれども、で、壊していいですかという話になると、違う形で疑いがあると、壊されて認定された人だけならのですけれど、仮に壊して何もなかった。あれ違う、じゃあ証拠写真出してくださいということになりますので、壊すことは止めてください、と。証拠では、証拠写真としては提出しますから、というような状況になっています。
 それとあともう一点は、先程言った6カ国云々の話もあります。自分が、これは政治家に聞いたのですが、今の総理大臣は、前に言いました金丸さんと同じ、日本が悪いと認めて社会党たぶん委員長さんだと思いますけど、行って援助の約束をして、帰りに背負って立てないほどの金塊持ってきたというような経緯もあります。
 たぶん私が聞いた話では、その6カ国云々よりは今の小泉さんは、今の拉致のところで終わりにして、援助を再開してもその交渉はできるんじゃないか? という部分で、それがうまくいけば、たぶん院政をして日本を動かすほどの男になる。というような取り巻きの話もあるというような、どこまでほんとかわかりませんけど、あながちウソではないなということです。
 先程の話に戻りますけど、あたかも特定失踪者、拉致被害者っていうのは、政治っていうか、そちらの方の道具に使われつつあるのかなあ? ていうのが、今の家族の心境です。
 本来であれば、父の次信の方がここに来て、皆さんにお願いするのがほんとなんですけど、体の調子も悪いし、先程真鍋さんの方で心配なされていたことですけれども、正直のところ親族のなかには、何を今更という部分での冷たい意見も、仲條がそういう形でやっても、なかなかそうはいかないよという部分もちょっとあります。
 ですがその反発もありまして、あえてこういう冒険というとおかしいんですけど、亜細亜人権協議会さんのお力を借りて、集会をやったのですが充分人がお越しいただけなくて
 あともう一点は、地元一市三町合併が7月1日になりましたので、素直に拉致認定の話云々、拉致被害者の話持っていけばいいんですけど、ややもすればそれが政治の方の形、選挙イコール票に繋がるということで、またそちらに利用されかねないのかなということで、若干危惧をしまして、こういう形になりました。
 7月1日に合併、12月には市議会の方の選挙がありますので、実情を言いますと70人の市議会議員、現状あと6ヶ月なんですけど、それが26人に絞られるので大変厳しい選挙が予想されている時に、こういう形をすると拉致云々を飛び越えて、違う形になりがちなものですから、ちょっとその点を考慮したんです。
 今考えてみれば、敢えて政治的な軋轢を起こすリスクを冒してもやった方がよかったのかな、と反省もございます。でもまずは何はともあれ、皆さんのお力をお借りして、曲がりなりにもこういう形で発表の場を得られましたので、深く皆様に感謝申し上げます。古川様には特に、先日に引き合わせてお声をかけていただきまして、ありがとうございます。じゃ、これで(拍手)。

 司会者
 私ども、特定失踪者加瀬テル子を支援する会は、発会、歩き出したばかりですが、これからも集会、シンポジウム等、回を重ねていき、拉致被害者認定、家族との面会実現に向け邁進いたします。皆様のご参加、ご支援、ご協力、ご支援よろしくお願いいたします。

 それでは、特定失踪者加瀬テル子を支援する会総決起集会を閉会と致します。本日はまことにありがとうございました。
 仲條富夫氏
 どうもありがとうございました。

 

 

特定失踪者加瀬テル子を支援する会

 

連絡先:〒260-0013 千葉市中央区中央2-7-10

    亜細亜人権協議会内

TEL:043-201-1111

振込先:千葉銀行中央支店 普通口座3984073