《その後:sonogo》
平成17年5月 古川了子の実姉 竹下珠路 平成16年6月26日に千葉市民会館で行なわれた[拉致はテロだ! 古川了子さんを救う千葉集会]には、お忙しい中多数のご参加をいただき誠にありがとうございました。 千葉集会の当日からお願いを始めた≪古川了子さんを拉致被害者として認定し、1日も早く救出してください≫の署名活動は、わずか7ヶ月余りで署名総数148,123名という膨大なご協力をいただきました。 これは古川了子の地元千葉県市原市民の皆さまはもとより、日本中の皆さまが北朝鮮による拉致被害は10件15人などという僅かなものではなく、全国にたくさんの被害者がいることを真剣に考え、その救出に向けた動きが今必要である事を痛切に思って下さった熱い思いの結集であると受け止めさせていただきました。誠にありがとうございました。 これらの署名簿は去る3月22日、佐久間市原市長、救う会、特定失踪者問題調査会の皆さまとともに内閣府に赴き、拉致問題支援室の小熊室長にお手渡しいたしました。 その後も政府からは認定の動きがないまま、4月13日には国を相手に、≪古川了子の拉致認定を求める訴訟≫を提訴しました。第1回公判は6月7日(火)13:30〜東京地裁第606号法廷です。 これは拉致被害者としての認定がなければ北朝鮮との交渉テーブルに名前すら載らない、つまり政府は古川了子の救出に向けた動きを一歩も進めていない事に対する、止むにやまれぬ訴えですし、全国の特定失踪者と呼ばれている「拉致被害者」の悲痛な叫びでもあります。 私達家族が千葉県警察本部長に対して「古川了子に関する拉致事件として捜査要請」を提出したのは平成14年12月、さらに被告発人不明のまま「国外移送目的略取誘拐」の告発を行なったのは平成16年1月、警察の担当官は一所懸命捜査していただいておりますが年月だけが流れます。 古川了子の帰りを待ちわびる母もまもなく89歳になろうとしており、ここ1年1年、季節ごとに体力や気力の衰えは否むべくもなく、もはや「時間がない!」のです。 救出に向けたハードルは高く、たとえ拉致被害者として認定されたとしても、その後の道のりの険しい事は現在認定されている横田さんや増本さん達を見てもお判りの通りです。私達被害者とその家族は、北朝鮮政府の不誠実な時間稼ぎと拉致問題の棚上げに屈するわけには行きません。 日本政府は可能な限りの手段と方策を講じて、古川了子を含む全ての拉致被害者を1日も早く救出していただきたいと思います。 拉致問題の全容はまだまだ解明されていませんが、被害者救出への道のりは政府だけの問題でなく、国をあげて邁進せねばなりません。これら現状のご報告と一層のご理解ご支援のお願いを込めて、このたび「千葉商昭和48年卒同期生の会」および「古川了子さんを救う千葉集会実行委員会」の皆さまのお力で、次のような集会を計画しています。このHPを開いてくださった皆様、お近くの皆様方はどうぞご参加ください。
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